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[オピニオン]親の権利

Posted July. 18, 2003 22:19,   

数日前、スイスの最高裁判所は親は子供をしつける権利は有してはいても、社会的に容認できる程度を超えた場合は犯罪に該当するという判決を下した。義理の父親が9歳、11歳の子供を約10回にわたってぶったり足で蹴ったり、耳を引っ張たりした行為に対する判決だった。これに先立って地方裁判所は、二人の子供の母親と3年間一緒に暮らしていた義理の父親として、子供たちのしつけがなっていない時にはこれを叱る権利があると判決を下していた。だが、最高裁判所は10回もぶったのは度が過ぎ、とりわけ足で蹴る行為は子供の教育手段として正当化できないとして、地方裁判所の判決を覆したのだ。

◆北欧では家庭や学校で子供に折檻を加えることを刑事犯罪として取り扱う。欧米諸国では幼い子供を暑い陽ざしの駐車場の車の中や子供のいない空き家に放置すると、住民によって告発され罪に問われることになる。実の親だとしても子供の健康を害することや正常な発達を阻害する身体、情緒、性的な暴力、過酷行為や遺棄行為を加えれば、児童虐待の罪に問われるのだ。これらの国では、自分の子供だから自分勝手にできると思っていたら大変なことになる。子供も独立した人格として尊重されなければならないからだ。

◆生活苦に悩んだある主婦が三人の子供を14階のアパートから突き落とし、自分も飛び降りて命を絶つ悲惨な事件が起きた。儲けがない子供の父親が家を出た後、この主婦は他の家の家事手伝いをして生計を営んできた。彼女の実家の母親は、「あそこまで追い詰められて」と嗚咽し、多くの人々が同じ思いに胸を詰まらせた。高い失業率にもかかわらず、社会保障制度を正しく整えていない国家社会の責任を問いただすこともできる。お隣と壁を作って暮らす大都会のすさんだ人情と不平等な社会構造に不満を突きつけることもできるだろう。

◆だが、たとえ親のいない孤児にはしまいという母情から出た極端な行動だとしても、彼女の行為は厳に殺人行為だ。子供は、親の所有物ではない。母親の殺意に気付いた子供が、「お母さん、私、死にたくない」と叫んだという。死の恐怖に直面した子供たちの姿は考えただけでも胸が痛くなる。これといった生計対策もなしに子供を5、6人も生んだ時代には、「自分が食べるものは持って生まれる」という言葉を慰みに、子供を育てた。子供は生命力が強い。歩き始めた幼児も転んでは立つことを繰り返すうちに、外部の世界に反応して思考と適応力を育てていく。そのようなチャンスを奪う権利は親にはない。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com