
「ナポレオンの学者達」
ロベール・ソーレ著/李サンビン訳/416ページ/2万5000ウォン/アテネ
「ボナパルトは、大砲と印刷機を持ってエジプトに入ってきた。そのうち大砲は去り、印刷機は残った」
フランスに「好意的な」エジプト人は、ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征についてこう評価した。
1798年にフランス政府は、ナポレオンを「対イギリス軍」総司令官に任命し、エジプト遠征を命じる。インドに向かって進むイギリス軍の「通路」を遮断するためだった。ナポレオンは1799年にエジプトを離れ、残っていたフランス軍が1801年イギリス軍に敗北することで遠征は失敗に終わってしまう。
しかし、ナポレオンの遠征はエジプト文化を西洋に知らせるきっかけとなり、「エジプト学」誕生の糸口を提供した。ナポレオンの遠征には3万8000人ほどの兵士と共に167人の学者と芸術家が同行した。
ナポレオンは学者らに「神秘の国」エジプトを綿密に調査するよう命令した。エジプトの古代文化と遺跡、生態と地理など、見えるものは何もかも研究対象になった。
もし、学者たちがこの遠征に同行しなかったら、フランス兵士がロゼタ付近で見付けた黒い花崗岩のかけらは、その意味を認められなかったはずだ。学者たちは、3種類の文字が刻まれたこの石を見るなり、この石がエジプト古代言語の謎を解く鍵であることを知り、結局この石を鍵にして古代エジプト文字の解読に成功した。この時に発見されたロゼッタストーンは1801年イギリスの手に移り、現在、大英博物館に所蔵されている。
エジプトの象徴であるピラミッドには、より大きな関心が寄せられた。1801年になされたピラミッドの発掘は、当時の学術探査の性格をよく物語っている。発掘をリードしたのは建築家とエンジニアだったが、画家はピラミッドの絵を描き、化学者は岩石見本を分析した。
ナポレオン遠征隊は、印刷機を利用し、現地で「エジプト通信」や「エジプトでの10日間」などの刊行物を発刊した。彼らの研究結果を基にフランス政府は1810年膨大な量の「エジプト誌」第1号を発刊した。
1830年まで3回刊行された「エジプト誌」は、古代考古学、物理、地理、自然史などにわたって157編の論文と約1000点以上の図版を盛り込んだ「エジプトに関する百科事典」だった。
もちろん、エジプトからみるとフランスのエジプト遠征は侵略で略奪だ。記事の冒頭に紹介した「好意的なエジプト人」の見方とは違ってフランスに批判的だったエジプト人らは「ボナパルトは大砲と印刷機を持ってエジプトに入ってきたが、残ったものは大砲だけだった」といっている。
当然なことに、「エジプト出身のフランス人ジャーナリストの著者の捉え方には、西洋の見方が多く反映されている。それにもかかわらず、当時のフランス学者たちの「活躍ぶり」を真剣な見方でリアルに描写したという点で、この本の価値は高く評価されていいだろう。
この本に収録されている豊富な絵と写真資料も、想像力を補完する水準以上のものだ。遠征や文化財などを描いた同時代の細密画が豊富に載せられていて、文章とは違う方法で、歴史に関する「もう一つの」想像を可能にする。
原著は1998年「ル・モンド」に連載された内容を補完して出版された。現題は「LesSavants de Bonaparte」。
朱性元 swon@donga.com






