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[社説]歴史の前に堂々とした言論

Posted April. 06, 2003 22:20,   

言論の機能と役割に対する論争が熱い中、第47回新聞の日を迎えた。新聞は民心を反映し、対話を活性化させる窓だ。そのような新聞が論争の対象になっている現実を謙虚な姿勢で受け止め、新聞に与えられた使命と責任をもう一度認識する必要がある。

今日は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権発足後、初めて迎える新聞の日だ。新政権が発足して以来、政権周辺から「言論改革」という言葉が頻繁に取り上げられ、取材システムの変更など、具体的な動きも現れている。改革という時代的要請から考えると、言論も例外ではない。また、盧大統領の言う「権力と言論の緊張関係」についても概ね共感する。誤った取材システムがあれば、それは速やかに捨てた方がいいだろう。

しかし、それが言論を統制し、権力の道具に利用する意図から出てきた発想なら、我々は読者の知る権利のため、どのような試練と挑戦に対しても、毅然かつ堂々とした姿勢で対抗する。新聞に与えられた使命は、読者に真実だけを伝えることだ。新聞が与えられた責務を全うしたかに対する最終的な評価は、国民の手にかかっている。言論の自由こそが民主社会の実現に不可欠な要素であると我々は確信する。

今年の新聞の日の標語は「読者に堂々とした新聞、歴史の前に堂々とした言論」だ。新聞は読者の信頼を失った時、存在基盤を失うことになる。そのため、読者のどんなに刺々しい指摘にも堂々とした姿勢で対応できなければならない。また、言論が歴史の前で堂々とした姿勢を維持するためには、時流に迎合せず、未来に対する確固たる信念と冷徹な歴史意識をもたなければならない。そのために我々は、今後、心構えを新たにしなければならないと思っている。新聞に向けられた外部の批判と注文に、開かれた姿勢で耳を傾けていくことを約束する。

現在、言論の役割は重大なものとなり、新聞には一層のこと正道と原則を守ることが求められている。このような責任を痛感しながら、自由民主主義の基盤である言論の自由のため、我々は最後まで使命を尽くすことを約束する。