「まさに今愛したいのに/愛したいのに君は/私のそばにいない。愛は綱につかまって君を探しに/天に行く…ようやく知った/それが愛であることを」八十歳の詩人、金春洙(キム・チュンス)は昨年、妻への切実な思いを「悲歌」に歌った。先年、生涯の伴侶を亡くして残されたのは詩を書くことしかない、とでも言うように彼は、「私の肌が君の肌に触れたがっている」という絶対孤独の中で、「君は君を新しく生まれ変わらせている」と歌ったように自らも新しく生まれ変わった。韓国の近・現代詩史に残る最高齢詩人の作品集を生み出したのだから。
◆人生の中で最も大きなストレスが、配偶者の死だそうだ。夫を失った妻よりも、妻と死別した夫のほうがもっとつらいようだと専門家は言う。いくら「二度笑う」という俗説があるとしても、配偶者への依存度が高かった高齢の男性は、特に深刻な喪失感を味わう。最近心臓病で夫人を亡くした歌手、趙容弼(チョ・ヨンピル)氏が喪偶の厳しい状況の中で、心臓病の子供たちを助けるために妻の遺産を使うとし、深い感動を与えた。実際は、亡き妻が願っていたのは夫が生涯夢見てきた音楽による教育事業のことだった。しかし、今回のことで夫は、妻の命を奪った心臓病を治癒するのに妻が残した最後のプレゼントを使おうとしている。「あの世にいる妻も私と心を同じくしている」と言いながら。間違ってもらったプレゼントから互いの愛を確認するO.ヘンリーの短編「賢者の贈りもの」と、映画「ゴースト」をいっしょに見たような気分だ。
◆互いの気持ちがすれ違いながらも、結果的にそれがさらに美しい感動を呼び起こすことになった。超氏の遺産の使い道からもわかるように、趙氏と故アン・ジンヒョン女史は、ほぼ完璧な補完関係だったという。趙氏が木だとすれば故人は土だった。「音楽が先で家庭はその次」と堂々と言ってのけた夫に文句を言うよりは、「あの人は音楽だけに生きてきたから世の中のことはよく知らない」と言って、マネージメントの仕事を受け持っていた。結婚3年目の97年に月刊誌「女性東亜」でのインタビューで、「年取れば結局しっぽ下げて妻を頼る」と言っていた趙氏を、妻は長く待てなかった。病床の妻にワカメ汁を作ってあげたらおいしく食べてくれた、というのが亡き妻との嬉しかった最後の思い出だと趙氏は言う。
◆国民歌手・趙容弼氏がすべき仕事は今後もっとある。6年前のインタビューで、「歌手のロッド・スチュアート氏が妻のために曲を書いたように、私も、夫が妻への思いを代表しているような美しい曲を作りたい」と語ったように、今の悲しみを音楽として昇華させることだ。金春洙の「51編の悲歌」に劣らない、この世でもっとも美しい思婦曲を趙容弼氏から聞けることを期待している。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com






