
「陶器のかけら1、2」/リンダ・ス・朴著/金セヒョン絵/李サンヒ訳/184頁−152頁/各巻7000ウォン/ソウル文化社(小学校全学年)
英語で書かれていて、よくも12世紀の韓国が手に取れるような生き生きした書き方ができたものだと思うような本だ。著者は、ハングルでわが国の文化を学習してきたわれわれよりも「韓国的なもの」をよく再現している。
高麗(コリョ)時代の西海岸にあった焼き物の町「ジュルポ」。橋の下で少年の「モグイ」は、自分の面倒をみてくれる「丹頂鶴」の小父さんと二人きりで家族のように暮らしている。「モグイ」の名前は、死んだ樹から自然に育つモグイ・キノコ(木耳)から取ったもので、「丹頂鶴」の呼び方は、生まれつき片足が曲がり片足だけで立つことから付けられた。彼らは、その日その日の食を憂いなければならない境遇だ。ごみの中をあさりながら、自分の手で食べ物を探す。モグイのただ一つの願いは陶工になること。
町で最高の陶工「ミン」老人の作業を盗み見していたモグイは、ミン老人の陶磁器を割り、9日間を働くことで返す。その後もモグイは、一生懸命にミン老人の陶磁器焼きを手伝う。
丹頂鶴の小父さんとモグイとの絆の固さが分かる一こま。ミン老人を手伝い始めた初日、モグイは「王宮で食べる豪華な夕食」に優るような昼食をご馳走になるが、丹頂鶴の小父さんはカレイ獲りに海に出たが杖を落としては手ぶらで帰った。
「昼食を食べながらも一緒に暮らしている小父さんのことはすっかり忘れていたんだから、自分て酷い人間だよね。少しは小父さんの飯の分も残しておくべきだったのに、間違ってた。小父さんが自分だったら、絶対にそうはしなかったはずだものね」
ミン老人にも生涯の願いがあるのだが、それは王室の陶磁器を頼まれることだった。ミン老人は、精魂を注いで陶磁器を焼いたし、モグイは苦労を買って王室のある松島(ソンド)まで陶磁器を運ぶ仕事を受け持った。
モグイとしては、手に負える旅程だったが、1日に村を一つずつ、峠を一つずつ越えて行く。扶餘の落花岩(ナクファアム)で景色とわが歴史を吟味していたモグイは、山賊に会い、山賊によって大事な陶磁器は割れてしまう。しかし、モグイは諦めず、割れた陶器のかけらを拾って再び松島に向かう。
在米韓国人2世の著者は、この本で今年米国最高の児童文学賞のニューベリ賞を受賞した。米国で生まれ、ハングルを学ぶ機会を持たなかった著者が、わが歴史と文化を後から勉強を始めては、このような本を書いたというから驚くばかりだ。全米図書館協会が、単に「東洋的なもの」への異国情趣から同賞を贈ったのではない。米国の小学生たちも、韓国の少年陶工の物語を通じて夢と勇気と忍耐の精神を学ぶことができるからだった。翻訳書とは思えない翻訳書を読みながら、英語表現はどんなものだったんだろうと想像してみるのも楽しみだ。
著者は、ハングル版の出版に際した巻頭言で「この賞を受けてから私には素晴らしいことがいっぱい出来た。その中でももっとも素晴らしいと思うのは、全世界の子どもたちが、この本を読むことになるだろうという事実だ」と記した。この誇らしい著者が、11月1日から3日までに開かれる「大邱(テグ)世界文学祭のための韓国文学人大会」に出席する。
金眞敬 kjk9@donga.com






