
鄭仁教(チョン・インギョ、33、182cm、モービス)。
彼にとって、今年の秋は特別な意味がある。一時は、プロバスケットボール最高の3点シューターだった。爆竹のように次々と決まる彼のロングシュートに、ファンが熱狂した時期もあった。恵まれない人のために、3点シュートを1本決めるごとに一定の義援金を出したため、彼には「愛の3点シューター」という心温まるニックネームが付けられ、いつも大勢のファンに囲まれていた。
しかし、いつしか彼は独りぼっちになっていた。そして、ベンチを暖めることが多くなっていた。バスケット選手としては還暦に当たる30代になって、もう数年が過ぎた。周りから「使えない」選手扱いされることも多くなった。このまま彼のバスケットの人生は、本当に終わってしまうのだろうか。
プロバスケの開幕を4日後に控えて会った彼の風ぼうは、これまでとはずいぶん変わっていた。短く切った髪に、げっとりとやせた顔。目だけが鋭く光っていた。
鄭仁教は、今年6月モービスに入団した。入団当時の体重は100キロ。スランプに落ちた約1年間、きちんと運動しなかったせいだ。
彼が減量のために行った努力は、涙を誘うものがある。一食、たったのリンゴ一つ。「バスケットを続けるためには、まず体を作らなければならない」という必死の覚悟で、毎日くたくたになるまで汗を流した。3ヵ月後、体重を量ってみると、86キロにまで落ちていた。最盛期の体重に戻った。
最近、チームの日本でのキャンプに参加、以前に劣らない素晴らしいプレーを見せた。試合当たり3つ、4つの3点シュートが決まった。これに自信を付けた彼は、午前と午後の練習も足りないといわんばかりに、夜も自主トレをして、今シーズンの準備をしている。
高麗(コリョ)大学を卒業し、産業銀行に入団した鄭仁教は、韓国最高のロングシューターとして名を広め、94〜95年スーパーリのーグで、得点王と3点シュート王に輝いたスタープレーヤー。プロバスケが始まった97年には、所属チームのナレ・ブルーバード(現TG)を準優勝に導いた立役者でもあった。
彼に試練が訪れたのは98年のこと。起亜(キア)とコリアテンダーを転々とした彼は、昨年FAになったが、どこのチームとも契約を結ぶことができず、「コートの迷子」になってしまった。辛うじてコリアテンダーに再入団したが、2軍生活が続いた。5年以上連続1億ウォンだった彼の年俸は、気が付いてみれば1800万ウォンに。昨シーズンはたったの1試合に出場、3分間プレー、3点シュート一本というお寒い結果に終わった。
しかし、彼はなぜコートを去らないのだろうか。すべてを忘れて、家族のいるグアムに行こうと思ったことがないわけでもない。しかし、このまま終わるには、あまりにも悔いが残った。今まで歩み続けてきた道ではないか。
その彼に、モービスの崔煕岩(チェ・ヒアム)新監督が救いの手を差し伸べた。バスケができるというだけで嬉しくて、契約条件はすべて球団に任せた。2年契約に年俸6000万ウォン。
「名誉回復をしたいなんて、そんな大げさな目標はありません。ただ、チームに必要とされるプレーヤーになるのが、僕の目標です」
彼は、自分を「風前のともしび」にたとえた。今シーズン最後の火花を散らしたいという覚悟で。ようやく暗くて長いトンネルを抜けたせいか、再びバスケットのボールを手にした彼の表情からは強い決意がうかがえた。
金鍾錫 kjs0123@donga.com






