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アウシュビッツも彼らの手では芸術になる

Posted October. 11, 2002 23:03,   

強制収用所を美学的に昇華させようという作業は目新しいことでない。すでに西欧では前代未聞の反人倫的な現象を克服しようという作家と芸術家たちによる努力が、これまでにもたゆまず展開されてきた。第2次大戦が終わった後、収容所から帰還した人々が体験談の形で自身たちの恐るべき経験を伝えるために努めたのに比べて、最近では生存者の数が少なくなって「真実の伝達」より「芸術的な昇華」により力を注いでいるところが違うだけだ。

しかし、「大量虐殺を美学的に扱うことが倫理的に穏当なのか」「3000人が同時にガス室で死んでいく姿を芸術がどんな方式で描き出すことができるか」という問いは、芸術的な形状化に対する試みを挫折させている。「生存者だけがショア(ユダヤ人大虐殺)を語ることができて、その記憶は伝達不可能だ」と、1986年にノーベル平和賞を受賞したエリー・ウィーゼル氏は叫んでいる。もちろん、この主張には被害者だけが収容所の現実を正しく理解することができるという意味が込められているが、ユダヤ中心的なニュアンスが強くにじませていることも否めない。

ユダヤ人虐殺は、ひたすらユダヤ人だけに理解できる、歴史を跳び越えた現象なのか。ユダヤ人虐殺が前例を探せない恐るべき事件であったし、20世紀のあらゆるかっ藤が反ユダヤ主義の中に凝縮されているのも事実だ。だが「アウシュビッツ以後、いまだに芸術が可能か」という疑問に対する解答探しは、「芸術が真に救援の一手段か」という質問とともに、西欧のあらゆる同時代の芸術家たちに投げかけられたテーマに違いない。

収容所問題に対する芸術からのアプローチ方式は、大変多様な形で試みられている。文学の場合、エリー・ウィーゼル氏やイムレ・ケルテス氏のような作家たちは、子どもの無邪気な目を通してみた収容所の現実を描いている。半面、ダヴィド・ルセ氏のようなフランス人作家は、収容所の中で展開されていた政治犯と雑犯たちとの無慈悲な権力闘争を集中的に分析する。またイタリア人作家のプリモレビーナ氏やフランス人作家のロベル・アンテルムは、収容所の中で日常的に接する人間の本性について反問し続ける。レビーは、理解できない人間のこのような本性を「グレーゾーン」という概念に照らしてる。

自身で収容所を体験していない作家たちは、収容所に対する直接的な言及を避ける代わりに「迂迴的」な戦略を用いることもある。例えばロマン・ガリ氏は「ジンギス・コーンの踊り」という作品を通じて、ガス室で死んだユダヤ人の霊魂がドイツ人の警察署長に飛びつく関係を設定している。アンドレ・シュバツ・バル氏は、ユダヤ人虐殺にまつわる一家族の歴史を扱いながら、虐殺の起源をバビロン時代からのユダヤ人迫害と関連づけている。体験談を扱った作品の場合、最近の作品よりも体験の強度においてより強烈な草創期の作品の方が優れているものと評価される。虚構の文学はますます多彩になってきている。

映画は、文学に比べて収容所を美学的に扱うのにより積極的だ。代表的な映画では「夜と霧」(フランス、アレン・レネ監督)、「ホロコースト」(米国、マービン・チョムスキー)、「ショアー」(フランス、クロド・ランツマン)、「ドクターコルチャック」(ポーランド、アンジェイ・バイダ)、「ニューレンベルクからニューレンベルクまで」(プレデリック・ローシーフ)、「シンドラーリスト」(米国、スチーブン・スピルバーグ)、「人生は美しくい」(イタリア、ロベルト・ベルニー)、「ピアニスト」(ロマン・ポーランスキ)などがある。

映画を通したアプローチも極めて多様な方式で試みられる。このため映画が発表されるごとに、現実の再現と倫理的問題に関する論議を呼び起こしている。例えば「ホロコースト」は全世界に配給する目的で制作された。そのため、興味を引くようなさまざまな要素を取り込んだ。だが、当時の歴史を美化、あるいはわい曲しているとの批判を受けた。スピルバーグは「シンドラーリスト」で最大限のリアリティーを見せようと努めたが、ガス室で毒ガスの代わりにシャワー用のお水が出てくる劇的な場面を「無理に」動員した。

「ショアー」は、ぼう大なスケールで当時の虐殺の実態に迫っているが、イデオロギー的なアプローチに徹底し、一方的に被害者の立場を代弁しているのが、むしろ問題点だ。「人生は美しくい」では、ユダヤ人救出のために努めるシンドラーの姿が銃口の前でもいちずな歩き方をする戯画的なペーソスによりコントラストを図っている。しかし「人生は美しくい」に対する批判はむしろ少ない方だ。事実を直接再現するより、アレゴリーを動員して歴史的に類を見ない事件を、全体像を表すのに成功しているからだ。一般的に、虚構に対する拒否反応の激しい欧州では、ドキュメンタリー作品がより優遇される傾向がある。

もしかしたら、イムレ・ケルテスのノーベル文学賞受賞が一つの変わった事件に感じられるかもしれない。しかし、西欧文化の一軸を形成しているユダヤ人問題に対する真剣な取り組みがなかったら、欧州に対する理解が永遠に不完全なまま残るしかないということを確かめてくれる。

李サンビン・韓国外大フランス語講師(EU研究所研究員・文学博士)