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[オピニオン]当百銭

Posted July. 22, 2002 22:16,   

朝鮮末期、高宗の生みの親として実質的な権力者だった興宣大院君は、意欲にあふれていた。王権を強化し、倒れかかっていた王朝を立て直そうとした。壬辰倭乱の時に焼失し、約300年の間、手がつけられなかった景福宮(キョンボククン)の再建計画をたてたほか、外国勢力の侵入に備えて国防を強固にするために、軍事費を増やそうと考えた。景福宮再建や軍事費調達は、ともにばく大な資金が必要だったが、国の財政は長い勢道政治(国王の委任を受け政権を握った特定の人とその追従勢力により成される政治形態)のもとで、極度に窮乏していた。財政需要を充足するために、大院君は当百銭を発行することにした。

◆大院君は1866年に、当百銭を造って使用を強要した。当百銭は、当時通用していた常平通寶の100倍の価値の大金だった。重さは常平通寶の5、6倍に過ぎなかったが、100倍の名目価値を持たせた。しかし当百銭の実質価値は、名目価値の20分の1にも及ばなかった。「悪貨」を発行して財政難を切り抜けようという意図だった。清で、当千銭や当百銭などを造って使ったことから、流通が可能だと考えたのだが、人々は当百銭の使用を避けた。

◆商人も、当百銭を受け取ることを嫌がった。捕盗庁(朝鮮時代の警察庁)を動員して強引に金を流通させようとしたが、無理だった。そこで各官庁で使う経費を払う際、当百銭を一定の割合で義務的に使わせた結果「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が現われたのだった。「良貨」であった以前の通貨は徐々に姿を消し、悪貨である当百銭だけが流通して物価が暴騰した。1年で米の値段が6倍以上に跳ね上がったうえ、人々が直接当百銭を造って使ったため、貨幣制度はさらに乱れた。ついに当百銭の発行をあきらめたものの、インフレと体制危機をもたらす結果となった。後に清の貨幣まで輸入して使うほど、信頼を失ったのだった。

◆国家の財政が苦しい時、貨幣制度を変えることは今も昔も変わらないようだ。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は米の配給制を中止し、現在1kg当り10〜20銭で配給している米を、今後市場価格の45ウォンで販売する計画だという。1ウォンが100銭であるから、米の値段が450倍も跳ね上がることになる。これからは「銭」という貨幣単位もなくなるといわれている。労働者と軍人の俸給も10〜20倍に上げたという。事実上の貨幣改革だ。100年前、朝鮮時代に発行された当百銭がまた登場しそうだ。朝鮮は当時、財政危機を打開して軍事費を調達するために当百銭を発行したが、今の北朝鮮もそうなのだろうか。



parkyk@donga.com