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[オピニオン]政府は規制撤廃を

Posted July. 04, 2002 22:33,   

いかなる国家であれ組織であれ、構成員に対する統制が強いところは、だいたいが管理者が構成員を信じられないところだ。韓国では、伝統的に官の民に対する不信が根強く、このことが政府の規制が他の国に比べて強い背景の一つであるとみることができる。

韓国の官吏が、なぜそのように民間人に不信を抱くようになったのか。韓国政府に、格別に疑い深い人ばかりが集まったのか。もしくは韓国社会が、いまだに正直さと誠実さに問題がある社会なのか。筆者は残念ながら後者であると考える。

最近かなりよくなったものの、交通マナーだけをとってみても、取り締まりがない時は、未だに割り込みや路肩運転、信号無視をよく目にする。目に見える交通秩序がこの状態では、目に見えない金融、租税、教育、建築のような分野の秩序も、これと大差はないだろう。

韓国政府の規制をよくみると、多くの人々をひとまず潜在的犯罪者と前提している。多くの許認可制、複雑な登録基準や手続き、厳格な資格制限などのすべてが、このような背景から生まれているのだ。まず信頼して、後で違反する人を捕まえて厳しく処罰するやり方ではない。小数の潜在的違法行為者を捕まえるために、多数の正直な人までも、監視と規制の対象とみなしている。正直で真面目に見えたところで、優遇されたり褒賞を受けるわけではないため、結局みな一様に受け身になるしかないのだ。

さらに韓国の規制は、非現実的なことが多く、守ること自体が不可能な場合もある。建築、消防、教育、食品、衛生、安全、環境などに関連する規制には、取り扱う側も規制される側も、どうせ規定通りにならないということを十分に知りつつ、名目上維持されている規制がかなりである。「順法闘争」が可能な国が韓国なのだ。

そうするうちに、韓国では多くの人々が生活の中で、どういう形であれ法を犯さずには暮らしにくくなっている。このような状況では、要領がよくて生活環境のいい人だけが法の網をくぐり抜け、正直で法を守る人々は損をするようになっている。偶然にひっかかった人は、悪かったと思うよりも、悔しいと考えるようになるのだ。

韓国の多くの規制制度が、正直さ、自律能力、順法精神を破壊する構造になっており、その結果、官吏たちはより国民に不信を抱き、より強圧的な規制制度を導入するという悪循環が繰り返されるのだ。

これまで規制改革がうまくいかないのは、公務員の自己保護のためであるとみる見方もあったが、規制を受け持つ公務員たちが、被規制者の正直さと自律能力に対して不信を抱いていることが、より大きな障害要因であった。検事の目には被疑者だけが見え、医者の目には患者だけが見えるように、生涯ひとつの分野の規制だけを担当してきた公務員に、その分野の企業家や民間人は、大半がすきさえあれば他のことを考える信じられない人間に見えるのだ。金融当局が見る金融会社、運輸当局が見る運輸事業者、教育当局が見る学校財団、ひいては中央政府が見る地方自治体もみな同じだ。

しかし規制担当公務員が、自分が担当する分野で、民間の自律能力や誠実さが足りないといって、規制を解くことを不安に思い、時機尚早であると考えるのは誤りだ。自律能力や順法精神は先天的なものではなく、後天的なものだからだ。まず規制を解いてこそ、自律を実験する機会が生まれるのだ。

民間の自律能力は、自律化を通じて得られるものであり、決して規制を解くための前提になってはならない。

初歩運転者が事故が怖くて運転しなければ、永遠に初歩運転者でしかなれないように、試行錯誤が怖くて企業と国民を規制で縛り続ければ、国民は永遠に他律的に暮らさなければならないだろう。