
任期末にニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラを率いて韓国を訪れた指揮者、クルト・マズアは、7月1日のプログラムをベートー ヴェンの交響曲3番「英雄」で、2日のプログラムをマラーの交響曲1番「巨人」で締めくくった。マズアが1日演奏したアンコール曲もゲーテの「英雄的」な人物像をベートーヴェンが序曲に作り上げた「エグモント」だった。何を象徴するのかは敢えて深く考える必要がないだろう。
前任者、ズビン・メータの指揮棒の下で、細部の精密さを失ったまま「100人の騒ぎ」のようだという辛らつな批判まで余儀なくされたニューヨーク・フィルは、伝統的な「調練師」としての役割を任された保守的なトイツ人、マズアの指導により、他のトップレベルのオーケストラと太刀打ちできる、サウンドの弾力を取り戻した。
音響だけを取ってみれば、4管編成の大編成楽団が舞台を埋めた2日の演奏がより気持ちよかった。1日、「英雄」の演奏で、舞台の後ろ側にあるホルンは、残響を余すことなく食い込んでしまう世宗(セジョン)文化会館の巨大な空間で、魅力のない乾いた色彩を丸出しにしていた。
1日の共演者、中国系のピアニスト、ヘレン・ファンは、数回にわたってソウルの舞台で披露した「モーツァルト・スペシャルリスト」という名を捨て、冷たくてしつこい、即物的なショスタコビッチのピアノ協奏曲2番を共演した。同氏の打鍵には活力があふれたが、休まずに進んでいくなかで十分なアクセントを持たせなかったため、多少不安定に感じられた。これはしばしば楽団との調和が乱される結果となった。
マズアの前任者は、樂曲の劇的な設計には優れているが、ディテールに弱いと評されるズビン・メータであり、後任者は主観主義的な設計が強すぎ、時には作品の原形と時代精神を損ねると評されるロリーン・マゼルだ。この二人に比べ、マズアは樂曲の解釈に特別な自分の主張を表現しないことが、むしろ個性として受け止められることもある。2日の主プログラムに選ばれたマラー交響曲1番でも、マズアは、「マラー交響曲」を「マズア交響曲」に替えようとしなかった。マズアの個性は、むしろディテールで活かされた。4楽章、金管とシンバルズを爆発させたあと、落ち込むように弦を深い低音に墜落させる樂句のなかで、いっときも音響全体の潤沢なバランスを失わないところが素晴らしかった。
マラーの交響曲1番が終った後、金管団員たちがレッドデビルの「ビ・ザ・レッズ」ユニフォームに着替えて演奏した最初のアンコール曲は、レナード・バーンスタインの「アメリカ」だった。大作曲家だったマラーは1900年代に、米国人に1960年代の時代精神の一アイコンとして呼ばれたバーンスタインは1960年代に、同楽団の音楽監督を務めていた。彼らの持つ伝統の強さが改めてうらやましく感じられた。
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