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ヒディンク監督手記<2>

Posted July. 02, 2002 22:16,   

監督職を引き受ける前まで、私が韓国について知っていたことを浮かべてみた。98年、フランスW杯で、韓国チームを見たのが初めてで最後だった。そのとき見た選手の一部は、私が指導してきた今の代表チームにも所属している。

その当時、韓国選手たちは多少消極的(modest)だった。もちろん、私は韓国について多くのことを知らなかった。韓国が、相手チームだったので、情報を収集しようと努力したが、韓国チームについて知っている人は多くなかった。当時、記者たちも、韓国チームを取材しようとしたが、知られていることがあまりない、という話をしていた。私が指導していたオランダチームについては、多くのことが知られていたが、韓国は相対的に、あまり知られていなかったのだ。

監督を引き受けてから、韓国チームの試合を収録したビデオテープを入手して見た。当時のアジアカップでの試合を含め、30試合ほどだったと思う。12月20日の韓日定期戦が終わった後には、韓国代表チームの選手個々人の長所短所を送ってくれと要請した。試合テープを見たら、技術的には問題がなかった。むしろ、韓国選手たちは、ほとんどが両足を自由自在に使っていることに驚いた。私は、韓国チームの問題点は体力だと結論付けた。

韓国に入り、鄭夢準(チョン・モンジュン)大韓サッカー協会会長に会った。明確な目標を決め、原則に忠実な人だった。鄭会長は、私が韓国チームの戦力を高める上で必要と思われるすべての条件を提供することを約束して、「目標は優勝だ」と言った。

私は、それが気に入った。目標があれば、率直に表に出して表現した方が良い。目標を立てるのに謙そんする必要はない。目標は明確に定めた方が良い。そして高いほど良い。

韓国チームはそれを証明した。目標を高く定めると、その高い目標に近づくために、さらなる努力を傾けるようになる。私は、これまで高い目標を定めて、それを成し遂げるために努力した韓国と韓国チームが誇らしい。

翌年の1月12日、蔚山(ウルサン)で選手たちとの初顔合わせがあった。最初は選手たちとの意思疎通がうまくいかず、苦労した。もちろん素晴らしい通訳さんがいたけど、選手たちが私に少し距離感を覚えているようだった。しかし、時間が経つに連れて、我々はお互いに何を感じて何を考えているのか、よく分かるようになった。

今年に入って、コーチや選手たちに話しかけるときは通訳が要らなかった。選手たちも、私に自然に自分たちの考えを話した。英語がうまくなくても、知っているいくつかの単語を並べながら私に話しかけてきた。私は選手たちにホテルや休憩時間に英語を勉強することを勧めた。

当時、私は、選手たちの間で対話がないことを注目した。もちろん、私は、韓国は後輩が先輩を尊敬する社会だということを知っていた。私は、韓国社会を尊重する。しかし、チームワークのためには少し変化を与える必要があった。先輩と後輩の間に壁があっては、チームワークを100%発揮できなくなる。

私は、年齢別に、親しい選手同士で座って食事を取る習慣を変えなければならないと考えた。食事時間に、先輩と後輩が一緒に座ってこそ、多様な対話が可能になるからだ。選手たちに食事時間を厳守するよう指示した。一緒に始め、一緒に終わらせたのだ。テーブルには先輩と後輩たちが交わるがわる座るようにした。食事時間には、一切、私的な電話にも出ないようにした。選手たちは、はじめは窮屈そうだった。私は、先輩たちを呼び、後輩たちに近寄って、互いに形式にこだわらずに対話をし、気持ちを分かち合うことを勧めた。先輩たちはが、後輩たちに「ああしろ、こうしろ」と指示する立場に立ってしまうと、後輩たちが十分な力量を発揮できなくなると考えた。

私は、最初、監督の提案を受けたとき、サッカー協会の関係者に「私が選手たちに木に登れと言えば、従うだろうか」と聞いたことがある。私は、英雄よりは、独裁者になることを希望した。スターに頼るよりは、チーム全体が機械のようにかみ合いながら回る組織力を作りたかった。そのためには、選手たちの献身が求められた。規律も必要だった。選手たちが、最初は服装も自由に着ていたが、移動中も統一するようにした。すべての日課も、私の時計に合わせるようにした。規律をたてるためだった。

私に対する「紳士的だ」という評価は、選手たちが規則と規律を守ったときは適当な言葉だが、そうでない場合は違う。規律と規則が、私を今の位置に導いてくれたからだ。

もちろん選手たちのプライバシーは尊重した。昨年、高宗秀(コ・ジョンス)選手が物議をかもしたときも、私は気にしなかった。代表召集期間でなかったからだ。私は、選手たちがグラウンドで私の要求した条件を満たしてさえくれれば、それで満足する。残りは、選手各自が自分で判断し、行動すればいい。

韓国選手たちは、大変純粋だった。私が要求した条件に期待以上によく従ってくれた。学習速度でも、私がこれまでに指導した選手たちのなかで、もっとも早かった。今も選手たちに感謝している。どこでも、こういう選手たちに出会うような幸運はないだろう。

韓国との初めての出会いで忘れられないことがひとつある。選手団と初顔合わせをした日、一緒に夕食を取りに行ったのだが、どうしてもはしを持ち上げる気にならなかった。ニンニクの匂いを嫌がっていたからだが、コーチたちが、生きている子ダコの味見を勧めたときは目まいがするほどだった。韓国料理に適応できなかったことについては、いまも済まない気持ちだ。選手たちに比べて、私の献身が足りなったためかも知れない。



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