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[オピニオン]街頭標語のコミュニケーション

[オピニオン]街頭標語のコミュニケーション

Posted June. 07, 2002 11:23,   

「一生懸命働いたあなた、羽ばたけ!」という広告コピーが流行っている。広告コピーの人気は、そのコピーをパロディ一化したコピーがどれほど多いかによっても見当がつくだろう。学校周辺には「一生懸命勉強したあなた、遊べ!」という文句を目にする。「疲れた肌、休暇を取れ!」という広告もある。「休まず走るあなた、止まれ!」という記事のタイトルも出てきた。

職業を持つ多くの人々は、自分の生活が苦しいと思っている。そして、こんなに大変なのに、将来への望みは薄く、苦労を分かってくれる人はいないという被害意識を少なからず持っている。しかし、ある日突然、テレビと看板で「あなたは一生懸命働いたから、安心して羽ばたいていい」と豪快に「許可」してくれる。それも何度も繰り返して言ってくれるのだ。どんなに嬉しいことだろうか。このように認めてくれて慰めてくれる言葉が、他にあるだろうか。おそらく、このような社会的心理を絶妙に捕えられたからこそ、このコピーが多くの人々の心を引きつけたのではなかろうか。うまく作った広告のコピーは、社会心理を絶妙に捕らえる。それゆえに、ただ投げつけたような言葉のようでも、人の心を射止めるのだ。

修辞学の3つの目標は、教えて、楽しくさせて、心を動かすことだという。この3つの目標は、別々に達成されるのではなく、互いに結びついている。そして聞き手が、その言葉に自分の経験と価値観を投映させて内面化する時、それは心を動かす言葉になる。与えられたメッセージに対して、受け手に理性的かつ感性的に直接「参加」させることが、「説得」の主な要素だからだ。「連想作用」を通じて、受け手の経験や感じをメッセージに結びつけてこそ、心に迫る内容になるのだ。スローガンやメッセージが残した余白を個人の感性と経験で満たすことができれば、心に残るのである。

うまく作ったコピーを見るたびに、街や歩道橋、垂れ幕の標語も、もう少しうまく作れないものかと思う。街に大きな字で書かれてある文句は、あまりにもお役所作品だ。直説的で命令調だ。人々を必ず教え導こうという強力な官の意志がにじみ出ている。

「運転前にシートベルト、運転後には良心ベルト」この程度なら上品なほうだ。混雑する交差点の一角を占領している大きな石に「誠実に生きよう」と重々しく書かれてある。道の中央の大きい石に「私たちは奉仕する」と書かれてもある。奉仕は静かにするもので、道をふさいで「私たちは奉仕する」と宣言すれば、奉仕ができるというものでもない。「護国の精神を引き継ぎ、国への愛を先導する」という標語は、あまりにも常套的な文句だ。お役所標語の絶頂をなす傑作としては、昔よく目にした「スパイを捕まえて忠誠を尽くし、償金とって親孝行しよう」が思いつく。このような過激な標語は、もはやその多くが姿を消したものの、いまだに字数を8字に合わせさえすれば、よしとする標語が多い。

街頭の標語もコミュニケーションである。不特定多数に知らせたいことや言いたい言葉を書いて伝えるコミュニケーションをもう少し感動を与えるようにできないものか。

心がなくては、他人の心を動かすことはむずかしい。論理にも合わず、感性にも訴えられない標語は、コミュニケーションの道具としては效果がない。むしろ逆効果になる場合もある。無論、街頭標語を利潤を目標としてばく大な予算を投じる広告コピーのように作ることは難しいだろう。しかし、多くの人々が往来する街の空間を使って、誰もが目にする場所に標語を掲げるなら、もう少し知恵を絞る必要がある。

サッカー・ワールドカップ(W杯)を迎えて、ソウル市内は本当に美しくなった。ソウル世宗路(セジョンロ)の通りを幻想的につくり上げる柔らかな照明、以前にはなかった多くの花が通りを飾っている。W杯前からああしていればよかったと思うほど、心を込めて整備された街並み、夜の漢江(ハンガン)の橋をより美しく飾る照明、漢江の花火…。そのような真心と努力で、街頭標語も一度再整備すればどうだろうか。国民教育憲章のように国民を教え導こうというお役所代表選手のような標語ではなく、温かく気転のきいた標語を掲げれば、ソウル市内の風景もひときわ和やかになるだろう。「私が心を開けば、私たちみんなが一つになります」第2の建国を掲げたこんな標語らしい標語が多くなってほしい。