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[オピニオン]地域主義を超えて法治主義に

[オピニオン]地域主義を超えて法治主義に

Posted May. 03, 2002 09:41,   

与野党が、大統領候補を選出するために、憲政史上初めて実施した今回の国民参加の予備選挙は、この国の民主主義の先進化の可能性を示したという点で、大いに意義がある。与党が、政権の後継構図によって消極的に決定した従来の方式から脱皮して、一般の党員らが前向きに選出に参加するようになったことや、野党が、総裁の既得権を放棄させて、予備選挙の手続きを踏んだことが、この国の民主政治の水準を一段階アップさせたことは明らかだ。

しかし、今回の国民参加の予備選挙を通じて得た最大の民主的な成果は、何よりも嶺南(ヨンナム)・湖南(ホナム)を軸にした政治的地域主義から脱皮して、政治的地域統合の可能性を見せたという点だ。

今回の予備選挙を契機に、1960年代以降40年近くの間、この国の軍事文化や3金(金大中、金泳三、金鐘泌)政治指導者によって支配されてきた根深い政治的地域主義が、解消されるがい然性が高まった。

3月16日に光州(クァンジュ)で行なわれた民主党の予備選挙で、地域主義打破の最初ののろしが上げられた。この地域に縁故のない盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が、この地域に縁故があり、組織と人脈がしっかりした韓和甲(ハン・ファガプ)候補を圧倒的に押えてトップになったことだ。

嶺南地域の野党ハンナラ党の予備選挙でも、地域主義は威力を失い、もはや見る影もない。この地域に縁故のない李会昌(イ・フェチャン)候補が、この地域に縁故をもつ崔秉烈(チェ・ビョンリョル)、李祥羲(イ・サンヒ)候補を圧倒的に押えて、事実上、野党の大統領候補としての位置を固めた。

イギリスの歴史学者E・H・カーは、その著書「歴史とは何か」で、「歴史上には、意味深長な失敗ということもなくはない。歴史には、いわゆる遅れた成功と呼ぶに値するものがある」と説いた。

今回の予備選挙で、これまで強固なものと考えられていた嶺南・湖南間の地域主義の高い壁が崩れたことは、カーの言う「遅れた成功」である。

地域主義の崩壊は、一部の国民が、ある地域の住民であるという理由だけで、不当に疎外されたり、不利益を被ることがなくなったことを意味する。しかし、もちろんこれだけでは、韓国の民主主義が完全に先進化されたとは言えない。

ジョン・F・ケネディ元米大統領は、1961年1月20日の就任演説で「もし自由社会が貧しい多くの人々を助けることができなければ、富める少数の人々を救うこともできないのである」と言った。これは、多くの貧しい人々の利益のために、富める小数の人々を犠牲にしたり、富める小数の人々の利益のために、多くの貧しい人々に損失を与えてはならないという意味だ。

どの政党が政権を握ろうと、特別な利益や損害を受ける階層があってはならず、社会的価値と機会が公正かつ均等に、すべての国民や集団に与えられなければならない。そして、そのような状況は、合理的な法体制の完備と法治主義の確立を通じて実現されるのである。

法治主義の確立によって、公正な「ルール」が韓国社会全般に定着する時、大統領と政府に対する国民の信頼をもとに、民主主義と経済の先進化を実現することができる。

ここで強調する法治主義の確立は、官僚主義の弊害を招く法規万能を意味するのではない。

社会秩序の維持と基本権の保護、国家競争力のために必要な法律は、最少限なければならないが、ここで足かせになる不必要な法律は、あえて廃止または改正されるか、新しく制定されなければならない。

そのような点で、韓国社会にまん延した法治主義を軽視する風潮を懸念せずにはいられない。

力のある個人や利益集団、または違法集団は言うまでもなく、一般の個人に至るまで、私益の追求のための違法行為への不感症がまん延している。違法行為は、腐敗心理に起因するものだ。

一国の法律の適用が、社会的弱者には恐怖の対象となり、社会的強者には無用の長物になるなら、韓国社会に染み付いた腐敗や特権・特恵意識を取り払うことはできない。

今日の特定の経済・労働・職能利益集団も、社会的強者のグループに属する。これらの社会的強者の組織が非組織化された不特定多数の国民の利益を損なうことがないように、政府は法治主義に立って、最善をつくさなければならない。

来たる大統領選挙で、与野党の大統領候補は、相手の弱点を暴き出す人身攻撃やきりのない暴露戦を繰り広げるよりは、この地に民主的な法治国家を定着させるにはどうすればよいか、という内容のある政策対決をしてもらいたい。