Go to contents

[オピニオン]間違いは憲法のせいなのか

Posted April. 22, 2002 09:46,   

五大洋六大陸のどこに出しても誇れる国、韓国人は、どうやって作られるのだろうか。それは、一方では我々が韓国をどんな国に作り上げていくかという問題で、もう一方では韓国を構成する国民一人ひとりをどのように養成するかという問題でもある。

我々が作り上げようとしている国が目指す理性と目標そして方向を、大韓民国憲法ほど如実かつ権威的に表現した文書ないし青写真は他にない。したがって、大韓民国憲法は、我々を規律する我が国最高の法規範であるわけだが、同時に民主市民教育の目標を最も立派に言明している青写真でもある。

我々がこれだけの自由民主主義と経済的富を享受するようになったのも、大韓民国憲法のおかげだ。韓国憲法の全条文でなくとも、少なくともその前文だけでも一度読んでみるといい。

「・・・平和的統一・・・自律と調和にもとづいて自由民主的基本秩序をさらに確固たるものにし、政治、経済、社会、文化のすべての領域において各人の機械を均等にし、能力を最高度に発揮させ、自由と権利に伴う責任と義務を完遂させ、内には国民生活の均等な向上を期し、外には世界平和と人類共栄に貢献すること・・・」とうたっていて、憲法が標榜している理想と目標を達成れば、韓国は世界のすべての国の人たちがうらやむような国になることになっている。

国民が国を建てる際して、志をひとつにしてすべての国民の理想と目標と方向を全世界に宣言し、これを守ると誓ったにもかかわらず、その国の憲法がそれ相応の扱いを受けられずにいる国は、少なくとも先進国の中では韓国以外にないだろう。

憲法を自由と平等と繁栄の手段と考えずに、制約や抑制の装置と考え、何かが間違えると、それがまるで憲法の誤りであるかのように何かにつけて憲法を直し、今なお改憲論が起きている。

英国、米国、フランスのような先進民主国家の国民が持つ共通の特徴は、自国の憲法を神聖視し、大切に守る気持ちだ。英国は、成文憲法がなくても守るべきもの(憲法)を立派に守っている。

米国では、最初の憲法にたったの一字も手をつけず、全部で27の改正条項を付け加えてきたが、初めの10条項は最初の憲法を発行させた直後に採択した条項であるため、実質的には200年で17条項の改正を行ったにすぎない。我々と比較すれば、政府の形態と関連のない相対的に重要でない部分の改正を行っただけだ。本来、米国憲法の大統領選出方式は間接選挙制だが、慣行として直接選挙制のように運営している。改正がすべてではなく、運営の精神が重要なのだ。また、米国では国籍を取得する時は、米国憲法を覚えさせたり、読ませたりしている。フランスでは1789年の人権宣言をいまだに憲法と考えている。

国民が自国の憲法を大切にし、愛する心構えは、公教育や社会教育を通して育てられるのは言うまでもない。自国の憲法に対する愛情と知識が、憲法専門家だけの占有物であっては決して健全とは言えない。憲法に対する愛情と知識は、民主市民教育の一部でなくてはならない。

過去、国定教科書の裏表紙に国民教育憲章のように政府が定めた宣言や宣誓文を印刷していた時代があった。今は、小学校の教科書のその場所に、大韓民国憲法前文程度は載せるべきだと考える。また、中・高校の段階ではそのレベルに相応する民主市民教育として憲法教育を施すとともに、付録としてでも憲法全文を載せるべきではないだろうか。

さらには、教育基本法第2条の教育理念として表現した部分を、憲法前文に置き換えるべきだ。憲法前文が教育基本法第2条より断然立派な韓国の教育の目標を示しているからだ。

大統領は就任を宣誓する際、憲法の遵守を誓うことになっている。憲法の順守は、憲法裁判所や大統領だけの責務ではなく、国会議員をはじめとする全ての公職者と民主市民の責務だ。

憲法の順守ほど大きな国民の義務はない。単に憲法の知識を問題視するのではない。憲法の精神を知らなければ、民主市民の資格がないと言える。外国人が韓国国籍を取得する時、当然憲法教育も求められるべきだ。

崔大権(チェ・デグォン)ソウル大学教授(憲法学)