国会がなんとか再開されたものの、依然として不安な気持ちは拭えない。実質的な
面から見て、韓国の国会には安全運営を保障する装置が備わっていないと言える。
今回の問題だけを見てもそうだ。与党議員の発言の中に耳ざわりな内容があると
して、多数党である野党議員らが壇上に押し寄せて発言を制止したことが問題の
発端であった。あってはならないことが起こったのだ。
イギリスでは議会を「パーラメント」と呼び、その語源の「パーラー」は「対話」
を意味する。それだけに議会は話し合いの場として理解されているのだ。それゆ
えかイギリスでは、国会議員がどんな内容の発言をしても、それを尊重し、問題
視することは決してない。
そのうえ明らかなうそや虚偽の事実を流しても、事情は変わらない。いわゆる国
会議員の免責特権保障が、議会民主主義のアルファーでありオメガであると考え
るからだ。
まさにそのような国会で、発言を制止するために物理的な強制力を動員したこと
は、実にあきれたことである。それも野党がそのような強制力を動員したという
事実は衝撃的だ。
野党は、政権勢力の代替政党としての意義をもつため、その国の政治的未来とま
で言われる。ところがそのような野党までもが、議会民主主義の最も基本的な価
値と行為のルールを守らないなら、その国の政治的未来は火を見るより明らかで
ある。
議会の本質というものは、大袈裟なものではない。武器による戦いに代わって話
し合いで決めようという発想から始まった政治的対話の窓口だ。それだけに相手
があきれた発言をしても、最後まで傾聴してなぜその発言が妄言であるのかを発
言によって糾明するばいいのである。その程度の政治的成熟と人格的準備がない
なら、国の運営を担うことはできない。
したがって、議会民主主義を保障する最も基本的な装置は、国会議員個々人の道
徳的省察力と自制力であると言える。しかしこのような国会議員が保障されてい
ないのが、韓国政治の現実である。それだけに国会の安全運営を保障する制度的
装置を模索することが望ましい。
しかし、与党が考慮中であるという「壇上接近禁止法」は、その実効性が疑わし
い。このような法が制定されたとしても、壇上を占拠して発言を妨げる事態が起
こる場合、結局は国会の倫理委員会が懲戒の水準や範囲を決めなければならず、
国会議長が院内秩序維持権を発動して初めて実質的な制裁が可能性があるためだ。
このように考えると、今回の事態に関連した国会議長の注文は、誠に傾聴に値す
る。国会議長は与党に自分を除名するように要請した。与野党のいずれからも偏っ
ていると疑われる限り、決して院内かっ藤の仲裁者になれないのが、まさに国会
議長なのだ。議会民主主義は革命ではなく、漸進的な進化によってのみ成長する
という言葉が思い出される。
事案が提出され、問題が提起される度に、ひとつずつ変化と改善を蓄積していけ
ば、韓国政治も質的な成長を約束することができる。壇上接近禁止法ではなく、
国会議長の党籍保有を禁じる制度的装置の模索に、与野党が膝を突き合せて話し
合うべきだ。
さらに国会議長も、このような事態が再発する場合、院内秩序維持権を発動して、
警備に発言を妨げる国会議員を制圧させる措置を取るべきである。
これは国会議長の肩にかかった責任だけでなく、自らの権威を高める近道であり、
議会民主主義の具現に向けた実践的代案でもある。国会議長は、単純な司会者で
はなく、一種の司法的裁決権者でもあるためだ。
そして、このような国会議長の権限が力を発揮するためには、国会議長への国会
構成員の尊敬と理解が先行されなければならない。しかし、韓国国会の国会議長
に対する派閥間の合意と理解はあまりにも欠如している。国会議長になるには、
特定派閥の支持が要であることは事実だ。
しかし、いったん国会議長に当選すれば、その瞬間から、特定派閥の所属員であ
る前に立法府の長なのだ。それゆえに、院内すべての派閥に対する統括権を有す
るのだ。そのような国会議長を自分の政党の所属議員と考え、管理し統制しよう
とする発想は、慎まなければならない。国会議長の権威を保護しないで国会のス
ムーズな運営を期待することは、まさに本末転倒である。
朴載昌(パク・ジェチャン)淑明(スクミョン)女子大学教授(議会行政学)






