新年が明けた。だが、新たな決心と希望に胸を膨らませるよりは、この長い1年をどう送ろうか、という心配で、今朝は目を開けるのがおっくうになってくる。その理由は、今年が「政治の年」だからだ。具体的には地方選挙と大統領選挙をめぐって、政界がどれだけ多くの泥仕合と離合集散で国民を再び絶望の底に追い込むか、憎悪の政治がどれだけ深刻になるか、心配になってくるからだ。
政治は、国民に希望を抱かせるのに失敗してきた。暗かった軍事独裁の時代は軍事独裁だから、と割り切ることもできるが、金泳三(キム・ヨンサム)政権と金大中(キム・デジュン)政権もそう大差なかった。「三金政治(金大中、金泳三、金鐘泌の3人による政治)」と呼ばれる前近代的な私党政治と地域主義、そして韓宝(ハンボ)事件と、最近のゲートが見せている相対的な不正腐敗などは、民主化運動が持っていたわずかばかりの道徳的な権威、それさえも失墜させてしまった。とくに金大中政権の人事政策の失敗は、疎外地域による政権にもかかわらず、むしろ地域主義を深め、与野党間、そしてその支持勢力と支持地域間の憎悪の政治が、どの時よりも激しさを見せた。
しかし、危機こそチャンスであるように、絶望は希望の前奏曲にもなりうる。 なかでも昨年10月の再・補欠選挙の惨敗による金大中大統領の民主党総裁の辞任は、延ばしてきた古い三金政治のつけを清算する機会を私たちに提供してくれた。
問題は三金政治の克服という、単なる三金の物理的な退場ではなく、三金的な政治形態の抜本的な解消によってのみ可能だということだ。実際に私たちは、これまで次世代や新世代といわれる政治家たちから、古い三金政治的な振る舞い、三金以上の古い政治形態を頻繁に目撃してきた。
重要なことは、今度の選挙でだれが勝利するかではなく、その競争過程、とくにその過程の民主化だ。具体的には、私党政治を民主化させ、政党を党員と国民の手に戻し、地域主義克服の糸口を設ける一方、相互ひぼうと政争で明け暮れる対立の政治、原則は何であれ、勢力を増やして勝ってこそこっちのものだという離合集散の政治、そのような勢力争奪の政治を利用した古い軍事独裁勢力と渡り鳥のような政治家の綱渡り政治を超えて、建設的な政策とビジョンを互いに競い合う姿を見せてくれるべきだ。
これと関連して、少なくともこれだけは、と指摘したいことが三つある。まず、負けても競争の原則を守るフェアプレイの精神だ。1997年の大統領選挙の際に見られた候補者選抜選挙結果に対する反発が、政権交代と疎外地域の政権にプラスになったのかも知れないが、結果的には民国党の惨敗が見せてくれたように、嶺南(ヨンナム、韓国の東南地域)の地域主義を、単なる感情的な地域主義から一段高い戦略的な地域主義に悪化させるなど、地域主義を深める結果をもたらした。このため、候補者選抜選挙の反発といったような事態は必ず防がなければならない。
また、今回の大統領選挙で、金大中政権が国際通貨基金(IMF)の要求を批判なしに受け入れ、追及してきた市場万能の新自由主義が、果たしてグローバリゼーションの激しい波が押し寄せてくる激変の時代に、私たちが目指すべき21世紀の韓国社会のモデルなのか、そうではないとすれば、民主的でありながら効率的な韓国的なモデルは何なのかについて、真剣に議論し、これを通じて、国民のコンセンサスを導かなければならない。
現在、私たちは19世紀末同様の世界史的な激変期に処しているが、これに対する議論は政界で見当たらない。
最後に、政界は、口では政策競争を目指すといいながらも、実際そうできなかったのは、政党間の政策的な差別化がほとんどなかったためだ。したがって、これからは新たな政治勢力が成長できるきっかけを設けなければならない。
今回だけは、本当に今回だけは、政界が国民に希望と新風を巻き起こす1年になることを祈ってみる。いや、少なくとも過去のような絶望と冷笑、そして憎悪を抱かせることなどないように心から祈ってみる。もちろん、これに対する責任はまず、政界にある。しかし、国民が地域主義のような古い政治にとらわれているとすれば、政界の変化は遠い先のこととなるだろう。この点で、今年がどんな年になるのかは、究極的には国民にかかっている。もはや単なる祈りを通り越して、私たちみんなが積極的に乗り出して希望の年に作っていこうではないか。
孫浩哲(ソン・ホチョル)西江大学政治外交学科教授






