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[オピニオン]身近なものとなった地方文化の時代

[オピニオン]身近なものとなった地方文化の時代

Posted October. 29, 2001 08:56,   

外国旅行をしているうちに、つくづくと感じることがある。それは、韓国のように見事な、そして親しみやすい自然環境を持つ国も、そう多くはないということだ。

家を建て看板を掲げるといった、人為的な環境に裏付けられないのが問題であって、自然環境に限ってみると、どこに出しても劣らないくらい立派なものだ。汽車にのって旅行でもしようものなら、絵の様に広がる野原と川を目にして、殊更美しい韓国の自然に見とれるのである。

ところが、首都圏の人口が過密化して、息が詰まるようになって久しいが、ソウルに暮らす人々は、帰去来の辞を唱えるのは専ら気持ちだけで、誰もが気軽に居住地を地方に移せないのが現実なのである。仕事や子供たちの教育に足止めされているというのが最大の理由であろう。

しかし、それらの条件から自由であるはずの人々までが、あれこれの理由でいざ、ソウルをあとにするのは容易なことではない。

文化面でのプレミアムが、過渡にソウルに集中しているということも、その容易でない理由の一つなのではないかと思う。韓国は、すでに高学力社会となって久しいこともあって、基本的な衣食住は解決できているものと思われる。とはいえ、文化的な欲求も満たされなければ満足できない社会になっている。

コンサートホールや美術館、小劇場といった各種文化施設がソウルに集中しているため、地方の市民は観たい公演や展示会も、わざわざソウルまで足を運ばなければ見られないものとなっている。

医療環境などは、今ではソウルと地方でサービス格差はあまりないものと聞いている。ところが、ソウルと地方の文化的格差だけは、未だなかなか縮まっていないのである。

ところで、ここ数年間地方各地を旅しながら、私は地方でも近いうちに、ソウルに劣らない独特な文化的環境を築けるという可能性を発見して、微笑ましく思った。

その一例として、慶尚南道統営(キョンサンナムド・トンヨン)に行った際、私はソウルでは味わえない、独特な文化と芸術の趣を感じることができた。統営は、昔から多くの文人と芸術家を生んだ都市とはいえ、都市全体が芸術的雰囲気に満ちていた。

眩しいほど美しい統営沖の多島海を眺めながら「波よどうすればいいのか」と涙した詩人柳致還(ユ・チファン)の文学館を見学した後、作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)ストリートを歩いて世界的水準を誇る彫刻公演に上ると、まるで南ヨーロッパの、とある由緒深い都市にでも来ているような感じがした。

全羅南道珍島(チョルラナムド・チンド)の、波打つ浜辺に面した、数百席の客席を備えた文化会館で、ソウルでは滅多に見られないシッキムグッ(亡者の怨恨を慰め、極楽往生を祈願する土俗信仰の儀式)と珍島唱(チンド・チャン、珍島伝来の民謡)公演を観た時も、険しい智異山(チリサン)の麓に広がる全羅北道南原(チョルラブクド・ナムウォン)の国楽院で、智異山の鳴き声に似たパンソリ(文学・芝居・音楽で構成される伝統芸)のドンピョンジェ(パンソリの一種)を鑑賞した時も、言葉では言い表せないくらいの、深い感動を覚えた。

湖畔の都市、江原道春川(カンウォンド・チュンチョン)で毎年開かれる国際マイムフェスティバルも、ソウルではなかなか見られない、名公演に出会える機会である。

夏になると、フランスのアビニョン演劇祭のように、慶尚南道居昌(キョンサンナムド・ゴチャン)で開かれる大規模な世界演劇祭に参加して、各国の芝居を観て感じる感動もまたひとしおだ。

このような公演を見るために、ソウルから地方に向かう人々が増えているというから、これまた嬉しい出来事と言わざるをえない。韓国の地方自治体が、今や文化芸術の重要性に目覚めるに伴なって、地方文化の時代が近づいたことを実感している。

先般、忠清南道錦山郡(チュンチョンナムド・グムサングン)では、フランス出身の世界的な建築家ビル・モートに設計を依頼して、文化をテーマにした多目的郡民会館の工事に着手した。同文化会館には、800席規模の大劇場と展示室が設けられる。

いつかお会いした錦山郡首から「そのうち、イギリスのロイヤルバレー団やピカソの特別展のように名声のある文化行事を錦山郡が招致するから、招請状をもらったらぜひ来てほしい」と、話していたのを思い出すことがある。その、夢のような話が現実となってやってくる日を、楽しみにしながら待つことにしてみる。

そうなれば、帰去来の辞を唱えながらソウルを離れ、地方に移っていく人々も増えるはずだ。

ソウルの人口集中問題も、そのうち自ずと解決できる日が来るかも知れない。

金炳宗(キム・ビョンジョン)ソウル大教授(画家、本紙客員論説委員)