
最近青少年保護委員会が青少年を相手にした援助交際・人身売買などの関連事犯と性的暴行犯罪者169人の身元情報を公開した。こうした措置が青少年を性的暴行から保護するうえで実行性のあるものなのか、それとも犯罪者の人格を無視した苛酷な処分なのかをめぐり続けて攻防が繰り広げられている。
青少年保護委員会の積極的な対処とは異なり裁判所は同関連事犯らに対し消極的な対応で一貫しているような印象を与えている。家出をした15歳の少女と性的関係を結んだ後寝食と現金4000ウォン乃至1万4000ウォンを与えた20代の男性5人に「代価性がない」として無罪を言い渡すかといえば、16歳の少女と金品提供を約束し性的関係を持った後約束した金を与えなかった事案は「偽計による青少年への姦淫」と見なすことができないとの判断を下したりもした。
青少年を性的暴行から幅広く保護しなければ、青少年が悪らつな性的搾取の犠牲者になりやすいゆえに統制と処罰を強化すべきだとの主張に対し、青少年の性的暴行からの保護範囲を拡大すれば、プライバシーまたは愛情の自由という基本権が脅威を受け得るという反論も手強い。クオバディス?
科学技術の発展速度に劣らず性的風俗も急速に変わりつつある。御茶の間のテレビドラマで頻繁に登場している不倫物語はもはや個人的私生活の問題とされる傾向にある。ラブホテルの氾濫やインターネット上のチャット、青少年の性的売買のブームもこうした変化の諸事例だ。貞操や貞節などはすでに成人自らが歓迎しない忌避言語になってしまった。姦通や売春あっ旋など性的風俗侵害行為は「刑法の脱倫理化」というモットーのもと犯罪リストから消えたり消える運命に置かれている。
性的風俗侵害事犯に対する寛大さとは異なって、性的犯罪に対する処罰の強化は世界的趨勢であり、韓国の性的暴力特別法もこうした潮流の反映だ。また、性的風俗違反事例を非犯罪視する傾向にもかかわらずむしろ青少年を相手にした性的風俗事犯、例えば児童売春、児童ポルノ、未成年者との同性愛などはさらに強化された監視と処罰の対象になりつつある。1996年米ニュージャージーのメガン法を筆頭とし登場した「現代版の朱紅文字」、性的犯罪者の居住移転申告制と住民公示制などはそれだけ青少年に対する性的搾取と虐待が深刻化しており、実効性のある対策が切実になったことを語ってくれる。韓国の青少年の性的保護に関する特別法もこうした対応策の一環だ。
近代刑法の古典的図式によるならば、社会政策の最後の手段が刑事政策であり、刑事政策の最後の手段が刑法だ。社会の意識と価値観が変わればそれによって社会政策、刑事政策、刑法も変わらなければならないということだ。こうした見方から考えると、青少年を性的暴行から保護するための特別法において制裁手段を強化することは、性的風俗の自由化の波と明らかに矛盾する。
青少年の性、それは近代刑法の自由化談論が受容できないポストモダン時代のトピックだ。一般的な性の自由化潮流が溶解できない、一つの矛盾のかたまりである訳だ。この矛盾のかたまりは最少、最後の手段である刑法では消化しきれない。それは後期現代社会の新たな危険ない至解消できない難題に属する。あたかも近代の潮流に乗って下りてきて、河口でポストモダンの波とぶつかりながら生成された三角州も同然だ。
しかし近代刑法の波から抜け出した三角州の諸難題を解くため制定された特別法らは一様に近代刑法の理念体系と矛盾する自己だけの論理を持っている。この点から青少年性保護法はポストモダン法の典型に属する。よって、同法律の規定は加害者のための普遍的自由の談論ではなく、未成年者の性のための談論の視角から解釈され適用されるべきだ。
青少年に性的暴行を加えた犯罪者らの身元情報も変化したパラダイムから見る時初めて理解できるだろう。問題は身元情報の公開の程度と範囲、そして方法だ。青少年の性を取り引きの対象にした性的風俗関連事犯に対し現在よりさらに厳しく制裁の強度を強めるべきだが、身元情報の公開にまで進む必要はない。しかし青少年に対する性的暴行犯罪者らに対しては再犯の危険のある限り、重い処罰のほかに一種の保安処分に当たる身元情報の公開までが必要だ。
但し、現在のようなレベルの身元情報の公開は、潜在的な被害者らの安全よりは犯人の道徳的羞恥心の誘発に重点を置いており、再犯防止に実効性があるかどうか疑問だ。少なくとも犯人周辺の人々が警戒することができるだけの具体的公示が後押しされるべきだろう。身元情報の公開が一種の危険予告に向けた表示板の役割を果たさなければならないからだ。
金日秀(キム・イルス)高麗(コリョ)大教授(法学部、東亜日報客員論説委員)






