
羊が沈黙する理由は、羊飼いの口笛が鳴り止んだからだ。危機を知らせる羊飼いの口笛が止む時、かの暗い野原で沈黙する羊の群れは、静かに死に追いやられるのが常だ。そこで羊飼いは昼夜を問わず目を覚ましていなければならない。眠らずに、羊の鳴き声に耳を傾けなければならないのだ。
このところ混乱を極めている政治に対して、口を挟もうとしない金大中(キム・デジュン)大統領の内心について、側近たちさえ気をもんでいるいう東亜日報の記事(8月9日付)が目につく。何故だろう。与党民主党の若手議員らが立ち上がった時、金大統領は、国政改革の青写真を明らかに示すことを約束したが、長引く日照りと洪水の被害対策を理由に一日また一日と先延ばししてきた。
政局に関する限り、特段言いたい事がなかったからだろうか。しかし、大統領経験者たちの例を考えると、政権末期の金大統領の政治的沈黙も予想された手順に過ぎないように見える。金泳三(キム・ヨンサム)前大統領の時と非常に似通った実例を見出すことができるからだ。
金泳三政権は、はじめから国民にあまりにも多くのことを約束した。約束の中には、得票戦略上誇張されたものもあり、人気に迎合したものなども少なくなかった。近頃、いまさらのように批判の対象になっているポピュリズムは、金泳三政権初期にも台頭していた。慌てて経済協力開発機構(OECD)に加盟することによって、すぐさま先進国入りしたかのように政府が率先してシャンパンの栓を抜いた。
政権中盤に入り、このような数々の薔薇色の約束が非現実的であることが明らかになり、一つ二つと姿を消していった。そのようにして消えた約束の穴埋めをするために、政権はさらに多くの言葉を必要とした。だが、政権後半期に入り、国民は背を向け始め、 最後には誰も政府の言葉を信じなくなった。
人気失墜の中、経済再生の旗幟を掲げて登場した金大中政権も、はじめからあまりにも多くのことを約束した。100の国政課題を取って見ただけでも、欲張り過ぎたと言える。その上、4大部門の改革、教育改革、医薬分業、南北首脳会談など歴史的に重みのある業務を無理に詰め込んだ。改革に伴う痛みをなだめるために、政府はさらに多くの言葉を必要とした。南米各国が10年以上経っても治癒できなかった国際通貨基金(IMF)体制の後遺症を、我々は短期間に克服しつつあると誇った。
カナンの地が今すぐ目の前で待っているかのように、甘い夢を見させようとした。しかし、手にすることのできない夢に失望した国民は、だんだん背を向け始めた。
羊飼いの口笛が鳴り止み、羊達の沈黙が長くなることは、言うまでもなく民主社会が衰えつつある兆しだ。コミュニケーション障害が深刻化しているためだ。改革という名で特定のマスコミの首に研ぎ澄ました刃物をつきつける現在の状況が、沈黙の長期化を予告しているようだ。
牧民の意志疎通が円滑でない状態が続けば、社会の内面の共同体意識が破壊され、社会的統合は途方もなく大きな波に巻きこまれてしまうだろう。それは、帝王的統治形態が産む必然的な結果かも知れない。
羊飼いが寝入った時、羊飼いを揺さぶって目を覚まさせるのは、権力の外で権力を監視する知識人らの役目でなければならない。政治社会の中で、知識人達は当然様々な顔を持っている。現実の政治権力の中で期待利益を享受する人々は、概してその権力の正当性より安全性と持続性に対する盲目的欲求を持ちやすい。彼らは口笛を吹く理由を知らない。内面的には正当性を拒否するか外面的には安全性を追求する一種の二重モラル的知識人も、権力の軌道離脱に対して警鐘を鳴らす勇気を持てない。内面的にも外面的にも認めることができないために、それが横行する現実を抜け出し忘却の世界への逃避を試みる知識人もまた、目を覚まさせるような口笛の音を失った小市民となんら変わりない。
羊達のように知識人は、歴史の前に長く沈黙して座っていることはできない。むしろ、羊飼いの口笛の音が聞こえなくなると、知識人はあたかもミネルバのみみずくのように空が夕焼けに染まり始める頃、とっくに飛び始めていなければならない。個人の自由に対する希望と、人間に対する原初的な信頼が、彼の潜在意識の中にあるならば。
キム・イルス(高麗大教授、法学、本誌客員論説委員)






