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[東亜広場]泥沼にはまった「DJノミックス」

[東亜広場]泥沼にはまった「DJノミックス」

Posted March. 20, 2001 14:03,   

英国の映画「ビリー・エリオット」の主人公は11歳の少年ビリー・エリオットだ。しかし映画を見て私の心に痛々しく残ったのは少年の父ジャッキー・エリオットの方だ。妻を失い、アルツハイマー病にかかった母と二人の息子を抱えた炭鉱労働者ジャッキーの現実は暗澹たるものだ。サッチャー政権は構造調整のネックである炭鉱労働組合を「体制内部の敵」とみなし、労組はストライキで張り合う。結局ひざまずくしかないという絶望感と未来への不安が炭鉱村を押え込む中、ジャッキーは労組委員長の長男に従いストライキに参加する。

しかしボクシングを習わせた次男がバレーに夢中になり、踊っていると「我を忘れる」という幼い息子の熱望をどうにもできないと感じたジャッキーは、結局息子の月謝を稼ごうと同僚を裏切ってストから降りる。労働者のプライドで持ち堪えてきた年老いた鉱夫のたくましい肩は怒りと悲しみで崩れ落ち、後を追ってきた長男に次のように叫ぶ。

「わしとお前はこの村から抜け出せないけど、ビリーは違う。あの子にはチャンスがあるんだ。ビリーからそれを取り上げることはできない」。

こんな父親の姿は映画の中だけではないだろう。いつしかこの社会でも珍しくない姿になってしまったではないか。失業者が再び100万人を超え、街には家族ホームレスまで増えている。職場では40代後半や50代が見当たらないし、勤労者全体で占める臨時職、契約職など不安定な雇用が50%を超えて既に久しい。

ところがそれでもまだ労働の硬直性が問題と言われている。人減らしが容易でないため外資系企業が韓国に参入しないというのだ。整理解雇制度の論理は柔軟な労働市場を基盤として企業競争力を強化し、外国からの直接投資を誘致するというもので、そうして経済が回復すれば雇用が増え、結果として雇用を創出するという。いわゆる「DJノミックス」の中心政策の一つである労働市場の柔軟化戦略だ。

しかし韓国社会でクビになってから同じ業種の職場に移ることはほぼ不可能に近い。職種を変えて成功した例もあまり見当たらない。このような現実で労働の柔軟性とは強制解雇の遠回しの表現にしか聞こえない。

もちろん経済の専門家らは世界市場の流れから見て労働市場の柔軟化は避けられないといっている。グローバル化の時代に競争力を育まない限り国であれ企業であれ生き残れないというのだ。

しかし「構造調整=大量解雇」といった改革の方向性が果たして正しいものだったのかに対する反省が必要な時期ではないか。グローバルスタンダードもよいが、韓国の風土に合わない米国式モデルを鵜呑みにするのが正しいのか、それがまともに機能するのかを考えなければならない。

失業は単に社会安全網の問題だけに止まらない。独立した人格である個人とその家族の挫折であり、精神的恐慌である。こうした状況下で労働の柔軟化戦略は必然的に敵対的な労使関係を招き、政策決定者である権力に対する反発を引き起こすのである。最近労働者のデモンストレーション現場で「DJ退陣」が叫ばれるのも、そうした流れからすると驚くこともない。

政府は2月末まで4つの部門に対する改革の大綱は決まったといった。もう経済は「民主的市場」に任せ、常に構造調整を行えばうまく行くという話だ。キム・デジュン(金大中)大統領は国際通貨基金(IMF)韓国事務所長の言葉を借りて改革の平均点が90点にはなると「自賛」した。

しかし国際資本機構の事務所長の高い評価が失業者100万人時代として現れるなら、いったい誰のための、何のための改革なのかという「社会の弱者」の恨みの声が聞こえざるを得ない。政府は失業者100万人突破に季節的要因が作用しており、すぐに落ち着くとしている。しかし危機と構造調整が繰り返される韓国経済の構造的不安定さを懸念する意見も多い。しかも韓国経済に絶対的に影響を及ぼす米国や日本の経済が最近不安定な様相を見せている。

大量失業が生じたことはそれ自体が経済政策の失敗を意味する。「DJノミックス」が泥沼にはまったといえば過酷に聞こえるかもしれない。しかし失業者が苛まれているより過酷な苦痛には比べ物にならないだろう。



全津雨(ジョン・ジンウ)論説委員 youngji@donga.com