オリンピックが終わった日、どうしたことか法王ヨハン2世の言葉を思い出した。法王の数多くの祝福の中から浮かんできた言葉は、もちろんスポーツと関連したことだ。原論的には教訓的だが、サッカーとマラソンに対する法王の言葉は次のようだった。
青年時代、サッカーのゴールキーパーとして活躍したという法王はサッカーについて、5月にヨーロッパサッカー連盟で行った説教で、サッカー選手は自ら、世界の若者の見本にならなければならないという事実を忘れてはならないとし、人間と魂の価値を尊重し、大衆の人生に肯定的な役割を果たさなければならないと強調した。マラソンについては、1月にローマの聖ぺトロ聖堂の前の出発点に立った4,500人余りの選手に対し、人生は孤独なマラソンのようなものだ。それぞれのスタイルと速度で走るのがマラソン、そして人生だと話した。
サッカーとマラソンに関する法王の言葉を思い出したのは、きっとシドニーオリンピックでサッカーとマラソンに対して心残りに思う気持が残っていたからだろう。オリンピックの理想と商業主義、政治的汚染、オリンピック有害論などをここで改めて取り上げる必要はないだろう。オリンピックは現実的に健康な肉体と精神に基づいたスポーツ技術の競演場だからだ。人間ドラマの舞台であるだけに、オリンピックに出場した人々には、美しい姿と共に良い成績が期待されるのである。
オリンピックに出場した我が選手団はよくぞ戦った。金メダル順位12位と、目標には至らなかったものの、それにこだわっている人は多くないと願いたい。金メダルを獲得したアーチェリー、レスリング、フェンシング、テコンドーの選手はもちろんだが、厳しい条件のもと、銀メダルを獲得した男子ホッケーをはじめとする多くの選手達の活躍した姿が今でも目に焼き付いている。それでもやはり残念だという思いが残るのはサッカーとマラソンの選手団の不振だ。サッカーチームは記録上は予選2勝1敗だったが、実際は2回戦で既に予選脱落が確定していた。もちろん、テクニック不足による結果でもあろう。しかしスペインとの初競技で見せた選手達のプレイは、中継を見ていた人々の人生に肯定的に働きかけるものではなかった。また、チリとの試合では選手の問題ある行為によって退場するまでに至った。
特にサッカーは、2002年のワールドカップを共同開催することになっている日本が準々決勝まで出場したことによって心残りがより強いものとなっているのかも知れない。日本は準々決勝でアメリカに負けたが、予選の3ゲームを含めた4つの試合ですべて素晴らしいプレイを見せた。
マラソンはイ・ボンジュがレースの途中で転ぶという不運に見舞われたが、出場選手全員が自分のスタイルと速度を調整にできていなかった様子だ。サッカーとマラソン選手団のオリンピック成績は残念だというしかない。ワールドカップを目前に控えているサッカーと、マラソンに対しては期待と愛情が大きかったから尚更だ。
選手、そして関係者の奮発を期待する。






