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この瞬間のために4年という歳月を待ったが・・・

この瞬間のために4年という歳月を待ったが・・・

Posted September. 19, 2000 19:46,   

4年の歳月を待った。しかし感激と喜びもつかの間。再び4年という歳月を耐え忍ばなければならない。それよりも心残りなのは、引退という悲しい単語の前に見窄らしく投げ捨てられた「希望の星」達の頭を垂れた姿。華やかに輝いていたスポットライトはいつの間にか消え、舞台裏の寂しさだけが滲みる。

ヨ・フンチョル(ヨ洪哲):90年代、韓国体操界の看板スターとして君臨していた彼は、16日の予選で11位に止まり、決戦進出にすら失敗した。彼は後輩達のため国家代表から降り、所属チームのために1年程度だけ選手として活動するつもりだと言いながら、事実上の引退を宣言した。96年のアトランタオリンピックで韓国体操史上初の銀メダルを獲得したその堂々とした様子が涙へと変貌する瞬間であった。

男子フェンシングチーム:名残惜しさの面で、男子ファンシングチームを一番に挙げることができるだろう。観衆一人いない体育館で黙々と戦い続けてきた彼らは、キューバとの準決勝で、刀に繋がっている電線が切れていることに気づかないまま競技を続け、ほとんど勝っていた試合を落とすという不運の主人公となった。

韓国にフェンシングが本格的に導入されはじめた時点から計算すれば、彼らがオリンピックメダル獲得の夢を目の当たりにするまでかかった時間は20年余り。

イ・ウンチョル:92年バルセロナオリンピックで金メダルの栄光を8年ぶりに再現しようとしたが、いつの間にか30歳の大台に(33歳)乗ってしまった彼は、年齢の壁を破ることができなかったのか、自分のメイン種目である射撃空気銃10mで予選負けするという屈辱を経験した。

北朝鮮選手団:北朝鮮選手団も人民体育人と功勲体育人の称号を得たスター選手達のメダルに対する渇望が続いたのは同じこと。アトランタオリンピックの女子柔道48kg級で世界最強の田村亮子(日本)を破り、無名反乱の突風を引き起こしたケ・スンヒは、52kg級に出場した今回の大会では銅メダルに留まった。