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「ただ泣いてください」

Posted March. 08, 2023 08:31,   

Updated March. 08, 2023 08:31

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作家は、時に自分の苦痛を言葉で掘り、刻む。ドストエフスキーもそうだった。彼が「カラマーゾフの兄弟」を書いていた1878年5月16日、末息子のアリョーシャが亡くなった。彼から受け継いだてんかんのためだった。父親のせいで息子が死んだのだ。彼が感じる苦痛と罪意識は言葉では言い表せなかった。それが彼の小説まで食い込んだ。子供を失って悲しむ母親が彼の小説に登場するようになったのは、偶然ではなかった。亡くなった子供は彼の息子のように3ヵ月足りない3歳で、名前がアリョーシャというのも偶然ではなかった。

小説で、子供を亡くした母親は泣いてばかりいる。人生はダメになり、家庭も崩壊し、家を出て3ヵ月も経った。ゾシマ長老を訪ねた理由だ。そうしてこそ生きることができるような気がしたからだ。ところが長老は意外なことを言う。「あなたに必要なのは慰めではありません。慰めてもらおうとせずに、そのまま泣いてください」。ただ涙が出る度に、息子が神の天使になって天国で母親の泣く姿を見下ろしてその涙に喜んでおり、その涙を神に知らせていることを記憶せよと話す。あえて傷を隠そうとも、治ろうともするなということだ。涙は、「傷を開けようとする絶え間ない欲望から出てくるもの」だから、涙が出れば泣けばよく、その涙が結局は天にいる息子に届き、慈悲深い神の心を動かすことになるという。彼は、慰めの言葉が通じない彼女をこのように慰め、家に帰す。

そうするうちに、悲痛な涙がいつかは「静かな悲しみの涙」に変わり、心の安息を見つけることができるという話だ。実際、それはドストエフスキーが息子を失って苦しんでいた時、オプティナ・プスタイン修道院のアンブロッシュ長老が言ってくれた言葉だった。その言葉を覚えてから、小説に登場するゾシマ長老の言葉に変えたのだ。「慰めてもらおうとしないで、そのまま泣いてください」。慰めてもらおうとするな、という長老の言葉が、彼の苦痛を慰めた。ほんの少しは。