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人類初の南極探検で向き合った人間性の限界

人類初の南極探検で向き合った人間性の限界

Posted July. 11, 2022 14:10,   

Updated July. 11, 2022 14:10

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「私たちはもはや航海士ではなく、刑を宣告された収監者だった」

日が昇らない長い南極の冬が船を襲った。耳の中で鳴る激しい風よりも、幾重もの氷を脱出する方法がないという恐怖がきつかった。1897年8月16日に出港したベルギーの南極探検船「ベルギカ号」は、約6ヵ月後の1898年3月2日、南極海のど真ん中で閉じ込められてしまう。「地球の最南端にベルギーの旗を立てる」という愛国心は一瞬にして崩壊した。身動きが取れずに南極海の氷塊に閉じ込められて過ごすこと1年。人類初、南極海に進出したベルギカ号の生存船員日誌には、「私たちは今精神病院にいる」という記録が残っていた。

米国人フリージャーナリストの著者は、ベルギー王立自然科学研究所に保存された船員の航海日誌と回顧録に基づいて、ベルギカ号が1897年8月に出港して1899年11月にベルギーに戻るまでの旅程を再構成した。ノルウェー人航海士ロアール・アムンセン、ベルギー司令官アドリアン・ド・ジェラルーシ、米国人医師フレデリック・クックなど有名なベルギカ号探検家が残した日記には、たくましい英雄物語ではなく、生存者のすさまじい絶叫が綴られていた。

航海は開始からスムーズではなかった。2日後にエンジンが故障した。さほど経過せず、荒波に巻きこまれて船員1人を失った。生き残った船員18人が1898年2月、南極海に達した時、彼らは選択の岐路に立たされる。撤収するのか南極海で越冬するのか。選択の瞬間、彼らの脳裏をかすめたのは名誉だった。南極に到達できなくても、南極海の冬を耐えた初の人類になりたかったのだ。しかし、生死をかけた極限の状況で名誉を選んだ代価は残酷だった。船員は皆、ビタミンC不足で全身がはれる壊血病を患った。船内に閉じ込められる時間が長くなればなるほど、神経衰弱はひどくなった。ヒステリー性疾患で言語能力を喪失した船員もいた。

著者は、ベルギカ号が成し遂げた生物学的成果の裏に強行された生物虐殺も指摘する。ベルギカ号に乗船した生物学者エミル・ラコヴィツァは南極探検の間、400種を超える生物の標本を収集した。そのうち約110種は学界に知られていない新しい発見だった。南極の生態系を確認できる資料だったが、著者はそれよりも1年の間に南極海で起こった虐殺に注目する。生存者の日誌には、研究や食糧のためではなく単に楽しみでペンギンを狩猟したという記録が残されていた。 

本は、南極海脱出と故国帰還という劇的な瞬間で終わらない。著者は、それよりさらに長い生存後の人生に光を当てる。1899年2月、船の進行を遮っていた巨大な氷が割れ、ついに南極海を脱出した彼らに残されたのは、栄光ではなく傷だった。夜が明ける頃、チリのプンタアレナス港にイカリをおろした船員は、鏡に映った自身の顔を見て驚く。所々抜けた髪とやつれた顔、生気のない目・・・。南極海の冬を勝ち抜いた初の人間という自負心はとうの昔に消えていた。生存者の多くは生涯、精神疾患を患った。

人間の底を見ることができるこの旅程から何を学ぶことができるのかと思われるが、驚くべきことに米航空宇宙局(NASA)は宇宙探査前にベルギカ号の船員が残した記録を見るという。ベルギカ号の船員が体験した精神疾患は、近い将来に火星探検家が体験することになる症状かもしれない。地球を越えて宇宙という未知の世界に足を踏み出す人類に、ベルギカ号の真実は苦痛であっても直面しなければならない話ということだ。


イ・ソヨン記者 always99@donga.com