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スペインを愛したイタリア人、ボッケリーニのファンダンゴ

スペインを愛したイタリア人、ボッケリーニのファンダンゴ

Posted February. 10, 2015 07:11,   

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周辺に風邪を引いている人が多いですね。読者の皆さんも、くれぐれも気をつけてください。

幼い時ははテレビで穏やかな室内楽が流れ、子供のモデルが登場する風邪薬のCMを見たことを覚えています。「ルイジ・ボッケリーニのメヌエット」なんですね。「こんなに穏やかな音楽を使うとは。きっと、常に大らかな笑みを満面に浮かべている作曲家なんだろう」と想像したものですが、ボッケリーニには意外と気難しい一面がありました。

「ボッケリーニ」は、典型的なイタリア人の姓です。ところがメヌエットの次に愛された彼の作品が、ギター五重奏曲第4番のファンダンゴなんです。スペインの強烈な色彩が滲み出る舞曲で、ギターが大活躍し、一層のこと南国の情緒をかもし出します。キャスタネットも演奏に加わっています。18世紀のイタリア人が、なぜスペインの舞曲を書いたのでしょうか。

ローマでチェロ神童として名をはせた彼は、18才のとき、スペイン王カルロス3世の弟、ルイス・アントニオ公の目に留まり、スペインの首都マドリードに活動舞台を移しました。宮廷音楽家として華々しく演奏活動を行いましたが、ある日、王が新しい作品の一部が気に入らないとして一部を変えるよう話した。反感を覚えたボッケリーニは、王が気に入らないとした部分を変更するどころか、2倍に増やしました。もちろん、結果は解任でした。

その後、プロイセンに渡りフリードリヒ・ヴィルヘルム2世に仕えた。スペイン宮廷でよりは状況が良くなったんですね。王自身がフルートとチェロの演奏を楽しみ、音楽活動を支援してからです。バッハに「音楽の捧げもの」を作らせたフリードリヒ2世の息子でもあるんです。しかし王が死去した後、ボッケリーニもこの世を去りました。祖国イタリアではなく第二の故郷マドリードで。後援者もみないなくなりましたが、彼は若き日の思い出が詰まっているスペインで生を閉じました。

15日、ソウル芸術の殿堂・IBKチェンバーホールで開かれる「クム・ナンセと共にするクラシック・ガラコンサート」では、ギターリストのミリアム・ブリューロヴァとカラチ・ストリング・クアルテットがボッケリーニのギター五重奏曲第4番「ファンダンゴ」を演奏します。折りしも19日はボッケリーニの272番目の誕生日なんですね。この「気難しいけど第二の故郷を愛した」男の生涯を辿る時間になりそうです。