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民団「尹奉吉義士が殉国した日本の谷を発見」

民団「尹奉吉義士が殉国した日本の谷を発見」

Posted December. 20, 2010 02:59,   

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尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が最期を迎えた場所が発見された。1932年に日本軍に銃殺されて78年が経過した。これまで、政府や市民団体が尹義士の処刑場所の発見に努めてきたが、具体的な場所を分かっていなかった。

在日本大韓民国民団・石川県本部は19日、日本軍の報告書と地図を対照し、徹底した考証を経て、「三小牛山の西北の谷」で尹義士が処刑された場所を発見したことを明らかにした。

当時、日本軍は、尹義士の処刑場所を三小牛山の南東の平地と発表した。しかし、敗戦後に公開された日本軍内部文書には、「三小牛山西北の谷の金沢—小原間の山中道路の東に、7メートルの高さの絶壁があり、銃殺に適当な場所だ」と記録されており、実際の場所と違うという事実が明らかになった。

このため、石川民団本部はチームを構成し、場所を探した。40、50年代の地図約30枚や航空写真、処刑当時の写真などを一つ一つ検証し、当時の地形に詳しい地域住民の協力も得て、処刑場所を確定した。

石川県民団のビョン・ジョンシク団長は、「尹義士が中国・上海で義挙した事実は知られているが、日本に連行されて最期を迎えたことは知らない人が多い。今後、ここで様々な記念事業を行う」と述べた。

尹義士は、1932年4月29日、上海の虹口公園で、日本軍が並んだ記念式場に水筒爆弾を投げ、白川義則隊長ら軍幹部が即死した。同年5月に軍法会議にかけられ、死刑宣告を受け、7ヵ月後の12月19日、銃殺された。



changkim@donga.com