Go to contents

[オピニオン]シュタージ文献

Posted April. 16, 2010 08:28,   

한국어

裸一貫で民主化デモに乗り出した26歳の大学生が、警察官の銃に撃たれて死亡した。「右派政府の走狗」である警察が、罪のない若者を殺すなんて!」。大学生らは街頭に繰り出し、激しいデモが行われ、結局、左派政権に取って代わられた。1967年6月2日、旧西ドイツで起きた出来事である。反体制左翼運動である68学生運動の引き金となった事件として有名だ。社民党のシュレーダー元首相など、当時の学生運動を先導した68世代は、韓国の386世代(90年代に30代、80年代に大学生で学生運動に参加し、60年代生まれ)と比較されたりもする。

◆その「問題の警察」だったカルハインツ・クラスが、旧東ドイツの秘密警察であるシュタージのスパイだったことが、昨年確認された。東ドイツの「手」に操られた西ドイツの学生らが、国全体を揺るがしたという意味だ。東ドイツが崩壊した1989年、シュタージは9万1015人の正式職員を従えており、東ドイツに17万3081人、西ドイツに1553人のスパイを持っていた。彼らが西ドイツの政府や情報機関にまで浸透したのは当然である。

◆1974年には、現職首相、ビリー・ブラントの補佐官だったギュンター・ギョ—ムがシュタージのスパイだったことが明らかになった。東西ドイツの首脳会談を2度も行った東方政策の旗手が、ほかならぬブラントだ。ギョームは、誠実な社民党党員として過ごし、首相の側近になってから活躍を開始した「眠るスパイ」だった。それよりさらに大きな衝撃は、ドイツ統一後、シュタージの秘密文書が公開されたことにより、明るみに出た。普段は笑いながら付き合っていた友人や同僚、ひどい場合は夫や妻がほかならぬ密告者だったのだ。英国のBBCテレビは、人口6.5人に1人がスパイだったと報じた。

◆1980年代末、韓国の著名人らは、旧東ドイツ駐在の北朝鮮大使館の斡旋で、秘密裏に北朝鮮を訪問したというシュタージの文献が入手された。これを発掘した米ウッドロウ・ウィルソン・センターのバント・シェイパー専任研究員は、「北朝鮮が韓国から来た親子に対し、『韓国にいる同志ら』と呼んだのを見れば、韓国で暗躍した朝鮮労働党員やスパイかも知れない」と明らかにした。文献の中の著名人らの名前や生年月日、パスポート番号は消されている。彼らは今、どこで、何をしているのだろうか。もし、南北が統一し、北朝鮮の秘密文献が白日の元に公開される日、我々の傍で、北朝鮮のスパイらが国や民族を心配する顔で、陣地戦を繰り広げていたことが明るみに出るかも。

金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com