景福宮勤政殿(キョンボクグン・クンジョンジョン)。王様が最近の政局に関する意見を側に控えている大臣たちに質問する。ある臣下が答える。「王様、私の考えではこうした方が良さそうです」。朝鮮(チョソン)王朝中期、勳旧(勳臣)戚臣を追い出し、士林派が勢力を得た時の宮廷の風景を想像してみたのだ。宮廷を背景に制作されたドラマと映画でなまりを使う人はいない。しかし、地方の儒林たちが中央に進出した際、標準語を使う勳旧派となまりを使う士林派の間に、緊迫した緊張感が漂ったものと歴史学者たちは推定している。
◆「ファクション(faction)」とは、「事実(fact)」と「フィクション(fiction)」を結合した新造語だ。東西古今を問わず、歴史の話ほど良いドラマの素材はない。数年前「何〜」という言葉を流行させたドラマ『女人天下』から、韓流ブームを拡大させた『大長金(テジャングム)』、燕山君(ヨンサングン、朝鮮時代の第10代王)の悲劇と同性愛コードを取り上げた映画『王の男』まで。歴史の中の人物や事件から話の糸口を見つけ、男女間のロマンスを付け加え、もっともらしいプロットを構成することは作家たちの仕事だ。
◆大衆文化でファクションが多く見られる現象は外国が先だった。小説『ダ・ヴィンチ・コード』はイエスという実存人物がマリア・マグダレナと結婚し、子供を生んだという話を結合し、空前のヒットを博した。我が国でも人気を集めた映画『グラディエーター』では、皇帝マルクス・アウレリウスが息子コモドゥスに殺害されることが画かれているが、これは葛藤構造を作るための劇的装置に過ぎない。それなのにインターネットではこのような質問が目立つ。「コモドゥスはどうしてお父さんを殺害したのでしょうか」
◆最近、ファクションジャンルが歴史の真実を深刻に歪曲しているとして論争を呼んでいる。ドラマ『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン、高句麗末の将軍)』で、唐の太宗を退却させた安市城(アンシソン)戦闘を淵蓋蘇文が指揮したと画いたのも一例だ。事実と事実の間の隙間を埋めるのは想像力だ。しかし、娯楽性の強いドラマだからといって、実際の事実まで歪曲することは無責任、または想像力の貧困のせいではないか。ドラマの初めと終わりに「この内容はフィクションです」という字幕でも入れればという姿勢が、何とも情けない。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員shchung@donga.com