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[社説]韓国経済の大御所を亡くして

Posted March. 23, 2001 12:55,   

60年代から始まった経済開発は、日本植民地時代の収奪と戦争で疲れはてた貧しい農業国家を40数年ぶりに世界10位圏の新興工業国家と変身させた。現代(ヒュンダイ)グループの位置付けや鄭周永(チョン・ジュヨン)前名誉会長の残した足跡については多角的な評価ができるだろうが、開発経済時代に鄭前名誉会長と現代グループが果たした経済成長におけるリーダー的な役割は、今日の韓国経済を語るに欠かせないものである。

鄭前名誉会長は不敗のチャレンジ精神と、推進力、そして生まれつきの勤勉さで、不可能に見えた大型事業を成功させ、世界を驚かせたことが多かった。70年代、世間からの激しい反対を押しきって建設したソウルー釜山(プサン)間高速道路は、朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領と鄭前名誉会長の合作によるものといっても過言ではないはずだ。故人は東海岸の小さな漁港を世界最大の造船所に変身させた上、中東ブームを主導し稼いだオイルマネーで国家経済の発展に大きく貢献した。韓国は現代の作り出したポニー・エクセル(現代自動車のモデル名)の神話を踏み台にして、世界5位の自動車生産国として浮上した。

人間鄭周永の一生は韓国が歩んできた軌跡とも一致する。江原(カンウォン)道トンチョンで貧農の息子として生まれ、小学校を卒業した後、牛を売った金を盗んで上京し、力仕事や米屋、飴屋などを経て、韓国最大の財閥グループを誕生させた彼の一生は、コリアンドリームの象徴でもある。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) が故郷である故人の、晩年に情熱を注いだ対北事業について正確な評価を下すのはまだ早すぎる。ただ、牛の群れを連れて北朝鮮を訪問したことや、金剛山(クンガンサン)観光などの対北プロジェクトは、有一の冷戦の孤島に世界を注目させ、南北の和解協力の新時代を開拓することに捨て石になったと言っても過言ではない。

故人が企業家としての人生を全うできず、92年、政治の方に道をそらしたことは汚点として残った。韓国を代表する企業家の政治への投身と失敗は多くの教訓を与えている。

「大物会長」として象徴される経営方式は開発経済時代には成功を収めたものの、昨今のグローバル企業の環境においては合わないものである。三つに分けられた現代グループの一つが今危機に立たされているのも、開発経済時代の経営方式を完全に克服できなかったためであろう。

現代家族は鄭周永前名誉会長の残した光と陰を同時に見つめながら、故人の遺業である現代グループと未だ締めくくれなかった対北事業が大きく実るように協力しなければならない。

故人は現実に対し「当たって砕けろ」の精神であらゆることを克服してきた草分けの企業家であり、韓国に立派な足跡を残した。大御所を亡くした韓国経済の喪失感は想像を絶するものである。慎んで故人の冥福を祈りたい。