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未完成品の慰め

Posted March. 22, 2023 08:37,   

Updated March. 22, 2023 08:37

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芸術は、時には未完成品が完成品よりも奥深く感じられることがある。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」がそうだ。完璧に近い「バチカンのピエタ」と比べるとなおさらそうだ。

彼が24歳の時に教会から依頼を受けて作った「バチカンのピエタ」は、本当に完璧だ。死んだ息子を抱いて悲しむマリアの姿からは、安らぎと美しさと崇高さが感じられる。ところが、77歳から始めて89歳で死ぬまで作業したが、ついに完成できなかった「ロンダニーニのピエタ」はそうではない。安らぎや優雅さが全く感じられない。均衡美もなく、安定感もないようだ。マリアが死んだイエスを後ろで抱いている形だが、妙にマリアがイエスに頼っているような印象を与える。亡き息子が、悲しむ母親を慰める逆説。それが彫刻家の意図なのか、偶然の結果なのか、ただ錯視なのかは分からない。

教会の要請で「バチカンのピエタ」を作った時までは、ミケランジェロは野心のある24才の若者だった。彼は彫刻家としての才能を誇示したかったのか、息子の死に悲しむマリアの姿を美しく崇高に形象化した。十字架から下げられたイエスの凄惨な姿と、マリアの悲しい姿が視覚的に美しいことはできない。「バチカンのピエタ」は、彼の芸術的才能と野心の産物だったことになる。しかし、彼は、老年の年になって芸術に懐疑を感じた。芸術家としての世俗的な成功も虚しいようで、芸術の再現能力にも懐疑的だった。

彼は、「芸術と死は、互いによく合わない」と考えた。彼が10年以上打ち込んでいたにも関わらず、「ロンダニーニのピエタ」が未完成の理由だ。老年の知恵と省察が彼を謙虚にした。直接見なかったイエスの死を再現することに、どうして完成や完璧があり得るだろうか。何をもってでも再現できない途方もない死の前で、彼の芸術は青白くなり、真実への渇望だけが残った。しかし妙にそれが慰めになる。