
韓国とチェコの2026年北中米ワールドカップ(W杯)A組第1戦が行われた12日、メキシコ・サポパンのグアダラハラ・スタジアム。両チームが1-1で迎えた後半24分、FW呉賢揆(オ・ヒョンギュ、ベシクタシュ)は主将の孫興慜(ソン・フンミン、LAFC)と交代してピッチに立った。選手人生で初めてW杯出場の夢をかなえた呉賢揆は11分後、黄仁範(ファン・インボム、フェイエノールト)がペナルティーエリア右から低く浮かせたクロスにゴール前へ飛び込み、左足で押し込んで韓国を2-1の勝利に導く決勝ゴールを決めた。
この日、昼食後に熱が38度まで上がるなど体調が良くなかった呉賢揆だ。それでも「本当に出られるのか、自分にやれるのかという疑いもあったが、メディカルスタッフの先生方が手厚くケアしてくれたおかげでゴールを決めることができた。こうしてゴールを決めるために、あれほど苦しかったのだと思う」と笑った。
4年前のカタールW杯当時、呉賢揆は背番号のない選手だった。W杯開幕19日前に目の周りの骨を折った孫興慜の回復が遅れた場合に備える「予備選手」の立場だったためだ。当時、正式メンバー(26人)ではなく「27人目の太極戦士」と呼ばれた呉賢揆は、代表メンバーの仲間たちを全力で支えた。それでも練習を終えて宿舎に戻ると、ノートに「4年後には堂々と背番号18をつけて(W杯に)来ればいい」と記した。18番は、「ファンセ」黄善洪(ファン・ソンホン、58)、「ライオンキング」李東国(イ・ドングク、47)ら、韓国サッカーの一時代を彩ったFWたちが背負った番号だ。
カタールW杯後、呉賢揆はセルティック(スコットランド)、ヘンク(ベルギー)、ベシクタシュ(トルコ)を経て欧州で経験を積んだ。呉賢揆は2025~26シーズンのトルコリーグで13試合6得点を記録した。2024年7月に洪明甫(ホン・ミョンボ)氏(57)が代表監督に就任して以降、代表戦15試合に出場して6得点を挙げた呉賢揆は、堂々と北中米W杯に出場する最終メンバーに名を連ねた。そしてこの日のチェコ戦を通じ、自らが韓国代表の18番の系譜を継ぐFWであることを証明した。
韓国はこの日、後半14分にチェコのラディスラフ・クレイチ(ウォルバーハンプトン)に先制点を許したが、後半22分に黄仁範が同点ゴールを決めた。そして4年前、孫興慜の離脱に備える予備選手だった呉賢揆が、この日精彩を欠いた孫興慜に代わって投入され、決勝ゴールを決めた。呉賢揆は「自分にとっては初めてのW杯だが、4年前に先輩たちが戦う姿を近くで見ていたので、緊張せずにうまくやれた」とし、「カタールW杯後、個人の技量★が大きく成長した。欧州の選手たちとぶつかる時も自信があるので、得点できるという確信があった」と語った。
呉賢揆が韓国サッカーを代表するストライカーへ成長する過程には、家族の献身もあった。呉賢揆の父、オ・ヘソンさんは京畿道南楊州市(キョンギド・ナミャンジュシ)でドジョウ汁店を営んでいる。呉賢揆は過去にユーチューブチャンネルに出演し、「みんなが離乳食を食べていた頃、自分はドジョウ汁にご飯を入れて食べていた」とし、「ドジョウ汁だけで1万杯以上食べたと思う。良い体力とフィジカルを持てるようになった秘訣だ」と話したことがある。
息子のW杯デビュー戦を見るため、オさんは店をしばらく休みメキシコまで飛んだ。父オさんのカカオトークのプロフィール紹介文は「世界で最も幸せなサッカー選手と家族になれますように」だ。オさんは本紙の電話取材に、「W杯という大舞台で息子が決勝ゴールを決める姿を見ることができ、言葉では表せないほど幸せだ」と話した。父は、選手人生初のW杯を控えた息子に「ただ楽しんでほしい。大舞台に立つ時は心を空にして楽しむべきだ」と言ってあげたという。
呉賢揆はこの日の試合後、家族に感謝を伝えた。呉賢揆は「今から(W杯が終わる)1カ月後には、両親が店を続けなくてもすむように、残りの試合でもっと頑張って、これからも楽に暮らせるようにしてあげたい」と語った。
金培中 wanted@donga.com






