昨年の今ごろ、友人とその職場近くで昼食を取った。食事の後、コーヒーがおいしいという近くのカフェに入った。若者たちが営む、少し気取った店だった。コーヒーの味以上に強烈だったのは、その店のトイレだった。男子トイレでは「大便禁止」だったのだ。はっきり書かれていた。単に張り紙をした程度ではない。トイレットペーパーを撤去しただけでなく、ふた状の構造物まで設置して便器を覆っていた。近くの公衆トイレについては地図まで添えて案内していた。それらの案内文と地図は、韓国語、英語、日本語、中国語の4カ国語で書かれていた。
その気持ちは理解できる。もし自分が店を経営していて、他人の大便を片付けなければならないとしたら、私もいろいろ考えるだろう。しかし、世の中にはどうにもならないことというものがある。私の短い経験と限られた常識によれば、急な便意に関わる事態は、私の知る「どうにもならないこと」の中で常に最上位に入る。コーヒーに含まれる成分の中には、人によって利尿作用や排便作用を引き起こすものもある。そんな人がこのカフェのトイレに入ったらどうするのだろう。余計なお世話だが、こちらまで心配になる。
「他人が使って詰まったトイレを、自分で直せますか?」。数カ月後、ある場のアンケートでこんな質問に出会った。独立系書店の開業希望者向けセミナーでのことだった。質問を作ったのは、韓国で最も成功した独立系書店の一つ「書店リスボン」を運営するチョン・ヒョンジュ代表だった。チョン氏は韓国独立書店界で前例のない成果を上げながらも、セミナーでは終始現実的な話をしていた。その一つが客との間で起こるさまざまな出来事であり、その中の一つがトイレ管理だった。仕方がない。仕事とはそういうものではないか。
あのカフェの店主たちが若いから、そういう考え方なのかもしれないとも思う。年を重ねつつある知人と、高齢者の旅行について話していて気付いたことがある。知人の父親は、もはや飛行機旅行をまったく考えなくなったという。トイレが気になるからだ。飛行機では離着陸や乱気流などでトイレに行けない状況が生じることがある。長い時間ではないが、高齢になるとその程度のことでも気にかかるのかもしれない。そう考えると、「大便禁止カフェ」の方針自体が、若さの象徴なのかもしれない。若く健康な腸の象徴だ。
私は、この「大便禁止カフェ」の場所など詳しい説明は、できるだけ控えようと思う。私はこの店を非難したいわけではない。この原稿によって、その店が被害を受けることも望んでいない。ただ、そのカフェの強烈なメッセージとトイレ方針は、私に問いを投げかけ続けた。その問いとは、「仕事の範囲はどこまでなのか」ということだ。カフェの仕事は、おいしいコーヒーを心を込めていれるところまでなのか。客や来訪者のさまざまな事情まで気を配るのは、カフェの仕事の範囲を超えることなのか。少なくとも、そのカフェは「そうだ」と答えたことになる。その方針が彼らにどんな影響を与えるのかは分からないが。
「大便禁止カフェ」は、少なくとも私には確かな影響を与えた。私はそれ以来、若者が営む小さくてしゃれたカフェに入る前には、自分の腸の状態を気にするようになった。近いうちにトイレへ行きたくなりそうな予感がしたら、若く、小さく、しゃれたカフェには入れない気がする。二度と会わないかもしれないカフェ店主に、「大便をした客」として記憶されたくはないからだ。
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