「偉大に生きることが重要なのではない。生き抜くことこそが偉大なのだ」(作者不詳)
いつの頃からか、携帯電話のメモ帳に「覚えておくべき大切な言葉」と題し、作品や講演などで出会った一文を書き留めるようになった。おそらく心の中の空虚を埋めるための小さなあがきだったのだろう。長年、ソウルの大学路(テハクロ)で公演の企画に携わってきた。冗談のように「365日のうち360日は大学路で過ごす」と言っていたほどだ。そうして30年近い歳月が流れると、この仕事を最初に選んだ理由が遠くかすんで感じられるようになった。ある日ふと、その理由をもう一度見つけ直さなければならないと思った。
私たちはしばしば人生の価値を「どれほど高く上り詰めたか」で測る。より良い職業、より大きな名声が成功の基準とされがちだ。しかし日常は、そうした華々しい瞬間だけで成り立っているわけではない。大半の時間は、繰り返される日々と予期せぬ困難に耐える過程の中で過ぎていく。だからこそ、ある日ふと自分に問いかけることがある。特別な成果もないまま過ごすこの時間に、果たして意味はあるのだろうかと。
しかし少し見方を変えれば、まったく異なる答えにたどり着く。偉大に生きることではなく、生き抜くことこそが真に偉大であるという事実だ。生き抜くとは、単に時間に耐えることではない。不安や恐れの中でも一日を始め、疲れ果てて崩れ落ちそうな瞬間にも立ち上がり、明日の舞台を準備することだ。時にすべてを投げ出したくなる。それでもなお一歩を踏み出す。その小さな選択の積み重ねが、人生と現場をつないでいく。
華やかな成功がなくてもよい。少し遅く進んでもよい。大切なのは、最後まで歩き続けることだ。今日、特別なことを成し遂げられなくてもかまわない。ただ今日を生き抜いたのであれば、それだけで十分に意味のある一日なのだ。
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