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定年を迎えた「競馬大統領」 本当にお疲れさまでした

定年を迎えた「競馬大統領」 本当にお疲れさまでした

Posted December. 27, 2025 10:56,   

Updated December. 27, 2025 10:56


「パク・テジョン騎手(60)は、韓国競馬が一人の名前で記憶され得ることを、身をもって示した人だ」

パク氏の「定年引退レース」を共に準備してきたイ・シンウ調教師は、ソーシャルメディア(SNS)にこうした賛辞を書き残した。パク氏は21日、京畿道果川市(キョンギド・クァチョンシ)のレッツランパーク・ソウルで行われた第6レースを最後に定年を迎えた。騎乗した「ミラクルサックス」は、最後のコーナーまで先頭を守ったものの、2着でゴールした。イ氏は「映画のように最後の場面が勝利で終わっていれば良かったが、人生はいつも映画のようにはいかない。だからこそ、この結果はより現実的だった」と記した。

パク氏が韓国競馬に残した記録は、現実離れしている。通算1万6016戦に出走し、2249勝。103年に及ぶ韓国競馬史上これを上回る勝利数を挙げた者はいない。従来の最多勝記録(722勝)と比べても、3倍を超える。そこから付いた異名が「競馬大統領」だ。

もちろん、順風満帆な道のりではなかった。頭部と腕を除き、ほぼ全身の骨を少なくとも一度は骨折した。長期入院も10回を超える。1999年の落馬事故では、馬に腰を踏みつけられ、脊椎圧迫骨折で10カ月間入院した。パク氏は2017年のインタビューで、「見舞いに来たファンから『当然亡くなったと思って死体安置所に行ったが見当たらず、病室に来た』と言われた」と、笑って振り返っている。

実は、パク氏が本当に乗りたかったのは馬ではなく、掘削機だった。忠清北道鎮川郡(チュンチョンブクド・チンチョングン)出身のパク氏は、高校卒業後に上京し、叔母夫婦が営むソウル麻浦(マポ)の青果店を手伝った。仕事の後には重機学校に通い、掘削機の操縦を学んだ。江原道春川(カンウォンド・チュンチョン)まで免許試験を受けに行ったが、運転席に座ることすらできずに帰ってきた。受験可能年齢に数カ月足りなかったためだ。両親が出生届を1年遅らせたことで、戸籍上の年齢が実年齢より若かった。

次の機会を待つしかなかったその時、叔父が韓国馬事会麻浦支店に貼られていた騎手募集の告知を見つけ、挑戦を勧めた。身長150センチに満たないパク氏は、「騎手という職業があることすら知らなかったが、小柄な体格が有利と聞いて心を引かれた」と語る。再挑戦を経て免許を取得したのは1987年。それから39年間、毎晩午後9時前には床に就き、午前4時30分に起床。出勤は常に午前5時30分だった。競馬の関係者が彼を「カント」と呼ぶ理由である。

パク氏だけではない。人生とは、幼い頃には想像もしなかった仕事をし、時に転び倒れながらも、一日一日を耐え、やがてその場を次の世代に譲っていく過程なのかもしれない。古代ローマの哲学者セネカは「生き方を学ぶのにも一生かかり、死に方を学ぶのにも一生かかる」と語った。だからこそ、完走すること自体が、最も偉大な記録なのだろう。今年、定年を迎えたすべての人の前途に拍手を送りたい。ほんとうに、お疲れさまでした。