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画家の妻として生きるということ

Posted September. 25, 2025 08:31,   

Updated September. 25, 2025 08:31


ポール・セザンヌは妻オルタンス・フィケの肖像を30点以上描いたが、風景画や静物画ほど注目は集めなかった。「赤いドレスを着たセザンヌ夫人」(1888~1890年・写真)もその一作である。絵の中のフィケは赤いドレスを身にまとい、椅子にきちんと座っているが、表情は淡々としており、感情の色合いはほとんど見られない。セザンヌはなぜ妻をこのような姿で描いたのだろうか。

フィケは石工の娘として生まれ、フランス・パリで本の製本やモデルの仕事をしながら生計を立てた。1869年にセザンヌと出会い同棲を始め、息子ももうけたが、セザンヌは資産家の父親の反対を恐れ、17年間にわたり妻と息子の存在を隠していた。二人が正式に夫婦になったのは1886年、セザンヌの父死亡直前だった。しかし、すでに心の距離は遠のいていた。

モデルとしての時間も、決して楽なものではなかった。セザンヌは長時間の観察と遅い速度で絵を描き、フィケは長時間ポーズを取ることに退屈を感じた。少し動くと夫は烈火のごとく怒った。さらに「リンゴのようにじっとしていなさい」と声を荒げたこともあった。セザンヌは友人への手紙で「彼女は絵には役立つが、他の面では私と合わない」とこぼしている。だからだろうか。彼の妻の肖像には無表情な顔が繰り返し描かれる。一つの物のように見えるほどである。

実際、この絵は単なる肖像画ではない。セザンヌにとって妻は、感情の対象ではなく、色や形、空間構造を探求するための実験的対象だった。モデルに表情や動きさえ許さなかったのも、セザンヌの執拗な芸術的実験の一環だった。

画家の妻として生きるということは、時に夫の芸術的執着の前で一つのオブジェとなることかもしれない。セザンヌは妻を通して芸術的成果を得たかもしれないが、妻の冷ややかな表情は、無言の抗議のようにも見える。同じ空間にいたが、結局心は届かなかった夫婦だった。