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健保ポピュリズム、これでは略奪だ

Posted May. 21, 2025 15:02,   

Updated May. 21, 2025 15:02


健康保険ほど選挙の時期に都合の良い資金源はない。病院代と健康という、国民が最も敏感に反応する問題と直結するからだ。政治家は支出拡大を約束し、有権者は票を投じる。

今回は介護費だ。最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補と与党「国民の力」の金文洙(キム・ムンス)候補が、先を争って介護費の健康保険適用を約束した。高齢の親を療養病院に入れる際、介護負担を背負うのは誰にとっても他人事ではない。反応が即座であるのもそのためだ。「私が払った健康保険料で親の介護費を賄う」というもっともらしい論理で、政界と有権者双方を納得させる。

健康保険を「親孝行の手段」として利用するというなら、少なくとも財源確保と責任分担に関する設計を共に提示しなければならない。そのような検討なく、気前の良い公約だけを掲げるなら、健保保障性の拡大は気持ちの良い約束ではなく、未来を蝕む略奪になりかねない。

介護費の健康保険適用公約の最大の問題は、持続可能性への考慮がないことだ。早ければ来年には3千億ウォン前後の健康保険の赤字が予想される。2028年には年間赤字額が1兆6千億ウォンを超え、累積積立金も底をつくと予想されている。療養病院の患者の重症度を5段階に分け、最も深刻な1~3段階にのみ健康保険を適用するとしても、毎年少なくとも15兆ウォンの追加費用がかかる。この状況では、2064年に枯渇すると言われる国民年金の心配が贅沢に思えてくる。

政治家が選挙のたびに健康保険支出拡大カードを切るのには理由がある。まず、恩恵を増やして票を獲得し、財政に穴が開けば、その時に健康保険料を上げれば済む。健康保険料の引き上げは増税とは異なり法改正が不要なため、国会のハードルを越えなくてもいい。政府が適当に料率を調整すればよいだけだ。それすら支持率が下がるようであれば、次の政権に引き継げばいい。政治的責任は曖昧になり、票は手に入る。これ以上甘い誘惑があるだろうか。

歴代政権は保守であれ進歩であれ、この誘惑を避けることができなかった。朴槿恵(パク・クンヘ)政権は高齢者層をターゲットに、インプラントと入れ歯を健康保険に含めた。文在寅(ムン・ジェイン)政権は「文在寅ケア」という名目で、上級病室料、MRIなどの非給付項目を大幅に給付化した。典型的な健康保険ポピュリズムだ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は「医政」対立を収拾すると言って、医療報酬の調整など遅まきながらの改革を推進したが、健康保険財政に莫大な負担をかけた。中途半端な改革が、より深刻なポピュリズムを生んだ。

このような状況のため、本当に必要な場所に使うべき健康保険財政が浪費されている。命に関わる重症疾患、小児がん、希少疾患の患者への給付拡大は、毎回のように無視される。票にならないからだ。必須分野の支援拡大が進まず、不満を抱いた胸部外科医は脱毛クリニックを開業する。一方、MRI、インプラント、入れ歯のように、不特定多数が少しずつ恩恵を受けることができる項目には、兆単位の支出が湯水のように使われる。

超高齢社会に突入した今、医療と介護の需要はさらに急速に増えている。昨年、健康保険支出の40%以上が65歳以上の高齢層に集中した。長期療養保険支出はわずか5年で2倍に跳ね上がった。一方、健康保険財政を支える生産年齢人口(15~64歳)は減少傾向にある。潜在成長率の鈍化で国民所得も停滞している。所得に比例して算出される健康保険料のパイが大きくなりにくい理由だ。

健康保険は、もはや安易な政治家の財布になってはならない。今のように財政の悩みは後回しにして、恩恵ばかりを増やすやり方は略奪に近い。人気取りの一発政策で健康保険財政が底をつけば、責任は未来世代が背負うことになる。このような構造では、健康保険の存立自体が脅かされる。いつまで数字の計算がない政治、責任を回避する政策を続けるのか。