誰が大統領になっても、福祉は増えるしかない。超高齢社会に入った韓国でますます大きくなる医療、ケア、住居負担を個人が完全に抱え込むのは持続可能ではない。大半の国民が望む姿でもない。「国家は、社会保障の増進に努力しなければならない」という条文が憲法に初めて入ったのが1962年、1人当りの国民所得が87ドルに過ぎなかった時期だ。大韓民国が進むべき方向性は、第1次経済開発5ヵ年計画が始まった63年前にすでに明確に提示された。
誰が政権を握っても、国の資金が必要なことはさらに多くなるだろう。健康保険支出の40%が、65歳以上に集中し始めている。長期療養保険の支出は、5年ぶりに9兆ウォン台から18兆ウォンを超え、2倍に増えた。国民年金は、「もっと払ってもっともらう」改革を反映しても、2048年から赤字だ。
福祉強化は、イデオロギーの問題ではない。人生の問題だ。保守・進歩政権を問わず、健康保険、国民年金、基礎年金、無償子育て、長期療養保険など、様々な福祉制度が新たに作られたり拡大された。韓国政治の歴史は、福祉政策強化の歴史と軌を一にする。
しかし、福祉拡大にはいつもついてくる質問がある。その金はどこから出るのか。「増税のない福祉」の議論が本格的にふくらんだのが、2012年の大統領選挙の時だ。これまでも続く、韓国福祉の虚弱な基盤を象徴するキーワードだ。当時、大統領選挙で対決し、結果的に時差を置いて大統領になった朴槿恵(パク・グンへ)元大統領と文在寅(ムン・ジェイン)元大統領は、在任中に十分な財源対策のない福祉政策を推進して、相手党と専門家から袋叩きにされた。
あの時は、それでも論争というものがあった。今は数字の前で、口をつぐんでいる。最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補は、児童手当を18歳未満まで拡大するとし、国民の力の金文洙(キム・ムンス)候補は、予備選挙の過程で65歳以上は、昼間のバス無料公約を掲げた。誰が、どれだけ、どのようにお金を工面するかについての説明はない。質問する人もなかなか見つからない。いくら戒厳と弾劾で突然行われる大統領選挙とはいえ、最も基礎的な計算すらない。
かつては、粗雑にでも「財源はこのように用意する」という説明をした。無償給食をめぐる議論の時は、地方教育財政交付金の調整を通じて予算を用意するという計画が明示された(限りなく与えても余る教育交付金の根本問題はさておき)。朴槿恵政府の基礎年金の導入の際は、国民年金の連携可否をめぐって議論が並行された。今のように弾劾大統領選挙だった2017年、文在寅と安哲秀(アン・チョルス)は、児童手当の財源準備策を巡り攻防を繰り広げた。
今は政治が数字を捨てた。国家債務は1100兆ウォンを超え、健康保険や年金など様々な福祉基金は急速に枯渇しているが、このような話をすれば、過ぎ去った昔の流行歌扱いされる。減税はいいつつ、増税や保険料の引き上げには目を背ける。政界は票を求めながら、責任は負わない。国のお金がかかることは確かに増えているのに、誰も現実を正直に言わない。無知というよりは欺瞞であり、沈黙というよりは偽善だ。
先進国は違う。スウェーデンは、1990年代の財政危機以降、累進所得税を強化し、付加価値税を25%にまで引き上げた。福祉を維持するためには、それ相応の税金に耐えなければならないという共感があったためだ。日本は2023年、岸田文雄首相(当時)が防衛費増額で財政が厳しい状況で、低所得層に1世帯当たり10万円(約100万ウォン)を配るというばら撒きの約束をしたが、支持率が下落し、翌年、そのポストから降りなければならなかった。
より多く与えると言うには、どのように対処するかをまず説明しなければならない。福祉拡大は単なる約束ではなく、国の構造設計を変えることだ。恩恵を施すのではなく責任を負うことだ。
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