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少年兵士

Posted May. 06, 2025 09:47,   

Updated May. 06, 2025 09:47


高麗(コリョ)や朝鮮(チョソン)時代は、米のように現物で払う税金と労働力を提供する役があった。役の種類は大変多様で、およそ15、16歳から徴発対象者となった。この年齢基準は、軍役も同じだった。ただ、実際に軍服務をする人は、専門性のある武士や最小限の能力を備えた人であり、ほとんどの人は軍服務をする人に代わって農作業をしたり費用を後援したりした。

しかし、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のような国民を総動員しなければならない戦争が起きれば、16歳の少年でも法的には軍に徴発することができた。朝鮮時代の記録には、兵士の平均年齢はもちろん、少年兵に対する記録がほとんどないが、少年を動員して戦闘や偵察に投入した事例は少なくなかっただろう。鄭忠信(チョン・チュンシン)将軍も、16歳で壬辰倭乱に参戦した。

近代ヨーロッパの軍隊でも、少年兵がかなりいた。多くの戦争画において、太鼓を叩く兵士は常に童顔の少年である。より有用だったのは、騎馬伝令だった。体が軽い小柄の少年たちは、伝令として立派な活躍をしたが、それだけ危険で犠牲も大きかった。

ボーイスカウトは、大英帝国と南アフリカ地域のオランダ系ボーア族間で起きたボーア戦争の時、少年偵察隊員を運営した経験から生まれた団体だ。少年兵が大変立派な活躍をしたため、青少年を体系的に組織して戦争で活用しようとして作った団体だ。韓国でも、1924年に「少年斥候隊」という名前で組織された。

18歳未満を軍人として動員するのは国際規約違反だ。にもかかわらず、少年兵は過酷行為、野蛮な戦争犯罪によく動員された。現在も特定地域で、このようなことが起きている。現代の先進文明国では、青少年の保護に熱心である。しかし、これを文明社会に深く根ざした堅固な土台であるかのようにうぬぼれてはならない。全面戦争が起き、国土が焦土化する戦争状況に見舞われれば、少年兵だけでなく、すべての野蛮な行動はすぐに復活する。