愛にも秩序がある。「オルド・アモリス(Ordo Amoris=愛の秩序)」は、聖アウグスティヌスが「すべての徳の根本」とみなしたカトリックの教義だ。ここで言う秩序とは、神を愛することが最優先であり、次が他人、最後が自分自身だ。
カトリック信者のバンス米副大統領は1月、この「愛の秩序」を引用し、強硬な移民追放政策を擁護した。バンス氏は、FOXニュースのインタビューで、「家族が最初、次が隣人、所属集団、同胞市民、国家の順であり、その後に世界の残りを愛することが道理にかなっている」と主張した。誰かがこれを批判する投稿をX(旧ツイッター)にポストすると、バンス氏は自ら返信まで残した。「ググってみてください」。
バンス氏が、「基本的な常識」と言ってオルド・アモリスを「自国民優先主義」のように強弁すると、数週間後、本物の強敵が現れた。
フランシスコ教皇だった。教皇は2月10日に書いた「米国の司教たちへの手紙」で、「大量追放政策など、米国で起きている重大な危機を綿密に注視してきた」と切り出し、聖書の「善きサマリア人」の話を例に挙げた。
「隣人を自分自身のように愛しなさい」という律法で、一体「隣人」は誰なのかという質問にイエスは答える。強盗に遭って倒れた人を見ても無視した聖職者よりも、ユダヤ人に軽蔑されていた混血民族だが、彼を助けようと慈悲を施したサマリア人が私たちが従うべき隣人だと。教皇は、「『真の愛の秩序』は、すべての人に例外なく開かれた兄弟愛の愛だ」と強調した。決して差別を正当化できないと明確に反論したのだ。
「すべての人に開かれた愛」は、20日に死去した教皇の足跡を端的に要約する。カトリックで禁忌とされている同性愛者に対する見解を質問された時でさえ、教皇は「私が誰だというのでしょう、彼らを判断するのでしょうか」という謙虚な返答で新鮮な衝撃を与えた。また、すべての人に教会の門戸を開いたと評価された。
2013年に教皇に選出されたフランシスコ教皇が一方で愛を開いている間、他方では「愛の秩序」を十分に知っているはずの指導者たちが人間の尊厳を傷つけることが頻繁にあった。バンス氏だけではない。自身がカトリック信者であることを積極的にアピールした強硬保守のイタリアのメローニ首相は、海上を封鎖して不法移民を阻止するという無寛容政策を代表公約に掲げた。同じく敬虔なカトリック信者として知られるポーランドのドゥダ大統領は、「性的少数者運動は共産主義よりも有害だ」と主張した。史上初の戒厳事態で弾劾された尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領もカトリックの洗礼を受けている。
教皇はカトリックの首長であると共に、全世界の政治、外交、文化に大きな影響を与える指導者だ。教皇が世を去った後、宗教を超えて現れる熱い追悼の思いは、教皇が生前強調した「開かれた愛」への熱望を示す証拠だ。
次期教皇を選出する枢機卿団の秘密会議「コンクラーベ」が来月初旬に行われる予定だ。保守派からは、教義よりも包容を重視したフランシスコ教皇を批判する声が早くも上がっている。教皇の死去は、崩れた愛の秩序を立て直すという遺産を噛みしめるきっかけになるだろうか。「パパ」が去った後に残されたのは、私たちが「どのような愛」を選ぶのかという問いだ。
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