金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官が、「12・3非常戒厳」関係者のうち内乱罪で初めて起訴された時、刑法上の「不能未遂」を主張しようとしたという話を聞いたことがある。不能未遂とは、白い粉を毒薬と思って飲ませたが、実際には砂糖で死に至らなかったというように、実行手段や対象の錯誤によって結果の発生が不可能な場合を指す。戒厳は宣布されたものの基本権を侵害する意図はなかった、あるいは結果的に何の危険も発生しなかったという趣旨だったのだろう。しかし、軍・警の投入状況まで公開された今となっては、このような事後的な弁明は通用せず、なかったことになったと思っていた。
ところが、似たような論理を尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領側が弾劾審判で持ち出した。最大野党「共に民主党」の立法暴走や弾劾の乱発を警告する、一時的かつ平和的な国民への警告的呼びかけの戒厳だというのだ。憲法裁判所は決定文で、「戒厳宣布と同時に大統領は国民の基本権を制限できるため、警告的呼びかけ型戒厳は存在しえない」「国会の戒厳解除要求権の行使を妨げ、布告令の効力を相当期間持続させようとした」として、尹氏側の主張を全て退けた。
憲法裁で完敗した主張を刑事裁判でも続けるのは常識的ではない。少なくとも弁護士を替えるか、既存の論理を一部でも修正するのが普通だ。しかし尹氏は14日の内乱罪の初公判で、「軍政実施のための戒厳ではない」と同じ主張を繰り返した。尹氏は、公訴事実の最初のページから最後のページまで列挙しながら「ナンセンス」「コメディ」と93分間にわたり後輩検事を非難した。尹氏自身が全斗煥(チョン・ドゥファン)内乱事件の判決を分析したと言っていたが、そこに書かれた大統領の権限、戒厳の要件や手続を正しく理解したのか疑わしくなるほどだ。
尹氏の法廷での陳述を詳しく見るとさらに深刻だ。「監査院長の弾劾などは譲れない問題だと判断し、大統領の非常措置権を通じて国民が立ち上がることを望む気持ちで戒厳を宣布し、兵力は秩序維持の目的で投入し、戒厳宣布前にはこれまでにない活発な閣議があった」と、憲法裁での主張をそのまま繰り返している。尹氏が初公判でこのように断言すれば、弁護士が方向を転換するのは難しいだろう。
ここまで来ると、被告人の防御論理ではなく、法廷を政治的目的達成など別の手段として利用しようと考えているようにみえる。以前、ある政治家が敗訴した論理を法廷で放棄できない理由について、「事実を認めた瞬間、支持者を失うからだ」と説明したことがあった。支持者のいない政治家は存在できないが、法廷で支持者を前面に出すことは没落を加速させる道でもある。
実際、尹氏は、捜査機関でなぜ戒厳を宣布したのかなど十分な調査を受けたことがない。高位公職者犯罪捜査処の調書への捺印を拒否したため、法廷で証拠として提出されず、検察は「ミョン・テギュン・ゲート」特察などを戒厳の理由と推定しているにすぎない。今回の刑事裁判は。適切な戒厳の真相究明の手段というわけだ。しかし、刑事法廷は被告人が言いたいことだけを言える場ではなく、裁判官と検事の質問に答えなければならない。裁判官の指揮の下、尹氏の発言のどの部分が事実で虚偽なのかが検証され、すべての言葉が中継される。
尹氏は大統領選投票日前に少なくとも8回の裁判を受ける予定だ。早期大統領選の原因を作った尹氏が毎回発する「不信の言葉」は、尹氏を大統領選の真っただ中に置き、大統領選の争点をブラックホールのように吸い込んでしまうだろう。
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