簡潔な慰めの一言、「どこへ行っても、あなたの音楽は分かってもらえるだろうからご心配なかれ」。七弦琴演奏の名人と別れる席で、詩人が言ってあげられる言葉はこれだけだった。北風が吹き雪が降りしきり、閉塞く冬と成る、夕暮れのせいか、立ち込めている黄砂のせいか、雲も太陽もつやを失って薄暗い。
「董庭蘭」という音楽家と別れる席は、こんなに寂しい。一時は宰相の権力を後ろ盾に名士たちと交遊し、かなり勢いに乗ったというが、赤貧の身としてさすらい、詩人と遭遇したのだ。「董大」と呼ばれたのは、董氏一家の長男という意味。貧しいのは詩人も同じで、別れの挨拶として酒一杯も交わすことができなかったのか、「大男の貧しさは大したことではないが、今日君に会ったのに酒代がないな」(「董大に別る」第2首)と吐露した。わざと貧しさに超然としたように豪快な姿を見せたが、みすぼらしい別れの席がとても気の毒だ。
若い頃、困苦な人生を送った詩人は、辺境を出入りしながら経験を積み、董大とのこの別れがあってから2年後、猛将哥舒翰の幕僚に入った。安史の乱の時期に、粛宗から軍事的知略を認められうなぎのぼりとなり、士人出身でありながら軍功として封爵を受ける特異な履歴まで残した。
十里黄雲 白日曛し
北風雁を吹いて 雪紛紛
愁うる莫れ前路 知己の無きを
天下誰人か 君を識らざらん
「董大に別る」第1首・高適(約704~765)
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