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進歩か保守かではなく「皆の司法府」になる道

進歩か保守かではなく「皆の司法府」になる道

Posted June. 25, 2024 08:33,   

Updated June. 25, 2024 08:33

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「可能なら出ないように努力しなければなりません」。最近、東亜(トンア)日報とのインタビューで、曺喜大(チョ・ヒデ)大法院長(最高裁判所長官)に「大法院長が採決する前に6対6が出たらどうするのか」と尋ねると、曺氏はこう答えた。大法院長が裁判長を務める大法院の全員合議体は、大法院長と大法院判事の計13人で構成された最高裁の最高判決機構だ。それでも多数意見と反対意見が1票差しかない7対6の判決が過去にたびたびあり、そのたびにキャスティングボートの役割をした大法院長の選択が大きな物議を醸した。

曺氏は、「一度話したからといってそれが不変の真理でもなく、もう一度熟考して、より良い結論を出すために努力しなければならない」と話した。そして、「私も大法院判事の時に意見を変えたことがある。それが恥ずかしいことではなく、国民が見て望ましい結論に進むことだ」とも述べた。曺氏は、ジョン・ロバーツ米連邦最高裁長官が優秀な裁判官の共通点として最初に挙げた「知的謙虚さ」(intellectual modesty)にも触れた。自分の考えが常に正しいとは限らないという疑い、同僚と議論して答えを見つけることがより重要だという趣旨だろう。

実際、曺氏のこのような発言は突然出たものではない。曺氏は10年前、大法院判事に就任した際、「考えは虚空のように境界がなく、私たちの目は左右を選ばない」と述べた。大法院判事在職中、進歩とも保守とも分類しにくい決定を何度も下した。大法院長の聴聞会でも、曺氏の保守的な傾向を懸念する議員の質問に、「私より進歩的な判決を多く出した人はいないだろう」と反論したほどだ。大法院長候補に指名された直後には、「無有定法(定められた法律がないのが真の法)という言葉がある」とし、「生涯、法官生活をし、一度も左右に偏ることなく、常に中道を歩もうと努力した」と強調した。

従来の判例を変えたり、社会的関心が高い事件を判断したりする全員合議体判決の波及力や影響力は非常に大きい。しかし、全員合議体判決が韓国社会の政治的、理念的な葛藤に対する解決策を見つける過程というよりは、葛藤そのものを露呈したり、むしろ葛藤を増幅させたりするきっかけとなったこともあった。代表的なのが、前任の大法院長の時の「百年戦争」に対する放送通信委員会の制裁事件だ。1、2審がすべて制裁が正当であるという結論を下したにもかかわらず、大法院は7対6の僅差で下級審の判決を覆した。多数及び反対意見には相手方に対する感情的な文言まで入っており、大法院長が半分の側だと攻撃された。繰り返されてはならない反面教師といえる。

曺氏は、大法院判事任命の最優先基準を「実力」とした。殺人事件でえん罪で刑務所に入れられる被害者を生まないようにするためにも、実力が人権保護の第一の手段という理由からだ。大法院構成の多様化は必要だが、それ自体が目的になっては困る。時代の変化を読み、長年の慣習を変え、それで国民の基本権を実質的に守るための判決を下すということができないのなら、多様化が何の役に立つのだろうか。

韓国社会が両極端に分かれ、「世の中、万事が司法化」現象がますます深刻化している。このような時ほど、少なくとも大法院は進歩と保守の境界がないという評価を受けなければならない。激烈な議論の末、是々非々を明確に分ける一貫した判決を下せば、司法府に対する信頼が高まるだろう。先月、初の全員合議体判決でスタートを切った「曺喜大(チョ・ヒデ)裁判所」は、「半分ではなく、みんなの司法府」にならなければならない。