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不公平への一喝

Posted November. 24, 2023 08:06,   

Updated November. 24, 2023 08:06

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科挙を通じて立身陽明を夢見る者たちは、試験に先立って、権門勢家や名士に自分の資質と才能をアピールしなければならなかった。彼らから推挙を受ける方法は、いわゆる行卷、普段書いておいた詩文を見せることで自分をPRすることが重要だった。行卷とは、目上の人との初めての出会いという意味で、干謁詩とも言った。そうでなければ、権力者と厚い親交を深め、推挙を受けなければならなかった。王維は、詩書画に長けていたおかげで、王公たちと共に過ごして順調に荘園及第し、李伯は、その詩才に惚れた宰相の賀知章が玄宗に推挙したことで無試験で登用された。一方、杜甫や孟浩然は、落榜(科挙に落ちること)を繰り返し、あちこちに干謁詩を送ったが、結局は志を成すことができなかった。詩の中の隠者は、普段「導いてくれる人」に会えなかったためか、索漠とした道を進まなければならず、最後は「深い森に埋もれて、世俗から遠ざかった」だろう。詩人は、現実の不公平について、「この世に公平なことは、白髪一つだけだ」と一喝し、隠者を慰める。

皮肉なことに、いざ杜牧自身の及第に請託が介入したという記録がある。彼の及第を助けたのは、太学博士の呉武陵、彼は、試験の主管者に杜牧の「阿房宮賦」を見せながら荘園及第を頼み、口論の末

5位に落着した。及第者がすでに内定した不公正な競争で5位になったのは、5位までの答案用紙だけが皇帝に上がる特典が与えられるためだった。