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会うことができるありがたい秋夕、小言は飲み込み本心が伝わりますように

会うことができるありがたい秋夕、小言は飲み込み本心が伝わりますように

Posted September. 28, 2023 09:22,   

Updated September. 28, 2023 09:22

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「里芋汁に松葉餅を新しく作って(芋羹松餠○初新)/床の上で密かに母親を慰める(堂上慇懃慰母親)/姉妹と兄弟が一人少ないと嘆くと(姊妹弟兄歎少一)/今年の秋夕は一番心が痛む(今年秋夕最傷神)」(「荷斎日記」)

宮と官庁に器を納品していた中人出身のチ・ギュシクは、1900年、秋夕(チュソク=旧暦の8月15日の節句)を6日後に控え、水亀という9歳の子供を病気で亡くしました。祝日を迎えて里芋汁を作って松餅を作りましたが、その気持ちはいかなるものだったでしょうか。家の裏にはナツメがいつもの倍もなっていたのでいっぱい摘んでみますが、それをあげたい父の気持ちは、当の子供にはもうわかることはできません。チ・ギュシクはこんな心情を詩にして日記に書きました。

秋夕の連休が始まりました。家族とは愛憎が深い関係なので、帰省の渋滞を乗り越えて久しぶりに故郷に帰って会っても、会いたかった気持ちほど言葉が出ない時もあるでしょう。しかし、会いたくても会えない人もいます。詩人朴南秀(パク・ナムス)は詠みました。「故郷を離れて/眺める仲秋の月は/懐かしさの鏡。/北朝鮮にいる祖母を描き/米州に行った妻を描き/私は今コオロギのように/冷えた体を震わせている」

ちょうど100年前の秋夕もそうでした。1923年、秋夕の翌日の9月26日、東亜(トンア)日報には、「総督府第2回安否調査到着」と題して、関東大震災の生存者の名簿がぎっしりと載せられました。その年の9月1日に発生した大地震のニュースを聞いて、家族の生死が分からず戸惑っていた人たちが名簿を見て胸をなでおろしたことでしょう。その日、本紙の社説はこう書きました。「『秋夕だけど寂しい!』これは非常に悲しい言葉だ」

1933年10月の秋夕頃には、金儲けのために満州に発った兄を懐かしむ、「故郷で幼い妹」が書いた手紙が掲載されましたね。「今日は8月の秋夕の青空に、明るい月は黙って流れる深い夜!…」遠い兄がいるあの場所を果てしなく眺めながら、兄の苦労を考えると、胸は痛くなるほど切ないだけです」

三国史記には、新羅の琉璃(ユリ)王が六部官制を定めた頃、チームに分けて機織りの勝負をしたことが、嘉俳(カベ、ハンガウィ=秋夕)の由来であると書かれています。負けたほうが酒と食事を振る舞って遊んだということです。少し変なのは次のフレーズです。「この時、負けた方の一人の女性が立ち上がって、踊りながらため息をついたとき、会蘇会蘇と言ったが、その音調が悲しくも美しかったので、後日歌を作って名前を会蘇曲とした」

負けたとしても、遊んでいたのになぜ悲しかったのでしょうか。「会蘇」を「集」や「知」などと解釈する見解がありますが、「(会えない魂は皆)集まって蘇生せよ」という切実さを込めたのではないか、根拠のない推測をしてみます。「秋になったから/秋夕の日が遠くない/秋夕になると/私は必ず/亡くなった人々を懐かしむ」(千祥炳の「秋夕の日が来る」)という詩句のように。

会えるだけでもありがたいことです。今度の秋夕には、喉まで上がってくる小言は飲み込んで、本当の気持ちを伝えてみましょう。「満月だ。/…/無職・ごろつき/息子と娘も見なさい、/風で帰ってくる/恩義還郷の夜道には/懐かしさの事情でも/月は満たされるのか」(キム・ギョンヒの「秋夕」)