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官妓の悲哀

Posted April. 19, 2023 08:34,   

Updated April. 19, 2023 08:34

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金素月(キム・ソウォル)の師匠だった岸曙(アンソ)金億(キム・オク)は詩人であり、先駆的な翻訳家だった。多くの翻訳が日本語の翻訳本を重訳する状況で、彼は原典直訳の道を切り開いた。日本よる植民地支配期に一種の脱植民地的な翻訳をしたのだ。彼は西洋の詩はもとより、中国と朝鮮の漢詩まで韓国語に翻訳した。中でも女流詩人たちの詩を多く翻訳した。最も有名なのが唐の詩人、薛濤の詩を訳した「同心草」だ。金聖泰(キム・ソンテ)が曲を付けて有名になった詩だ。

原題は同心草ではなく、「春を待つ歌」という意味の「春望詞」。金億は4つの詩のうち1つだけを翻訳して「同心草」とタイトルをつけた。「花びらはとめどなく風に散り/逢える日は遠い、約束さえなく/心と心結ぶすべなく/ただ草の葉だけを結ぶとしようか」。3行と4行の同心人と同心草という表現で、同心は「一心」という意味だ。心と心が一つに結ばれてこそ愛だが、詩人はそうすることができず、ただ草の葉だけを結び、約束のない人への思いを綴る。その心がより切なく感じられるのは、詩人が両親を早くに亡くし、官妓として生きてきた女性だからだ。誰かを愛しても普通の人のように愛することができないのが官妓の宿命であり悲哀だった。男は去れば終わりだった。彼女は詩で慰めを得た。

金億はこのような詩が本当の詩だと考えた。彼は良い詩を「思無邪」、つまり考えに飾り気のない境地に例えた孔子の言葉を引用し、側妻や妓生の詩を高く評価した。「士大夫の女性たちの歌には、わざと感情を押し殺して上品を装った感じがある」。だから孔子の言葉が正しければ、彼女たちの歌は「落第」であり、感情に偽りのない側妻や妓生の歌は「及第」だった。制度が保証する安定した生活ではなく、哀れな生活を送った女性たちから出てくる純度の高い感情が叙情詩の本質に近いという意味だった。翻訳家金億が伝えた芸術原論と言おうか。