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お茶漬けにキムチ一切れ...在日韓国人が生きる方法

お茶漬けにキムチ一切れ...在日韓国人が生きる方法

Posted May. 31, 2025 09:54,   

Updated May. 31, 2025 09:54


1966年、東京で生まれた在日韓国人である著者にとって、キムチは常に宿題だった。かつて日本ではキムチは「朝鮮漬け」と呼ばれ、「キムチ臭い」という言葉は朝鮮人に対する代表的な蔑視の表現だった。著者の母親も、家を借りようとした際、家主から「キムチの臭いがするので、どうしても貸せない」と言われたことがあるという。著者も幼少期、家の冷蔵庫から漂うキムチの臭いをひどく嫌っていた。

このエッセイは、小説家である著者が、人生を通じて食べてきたものを振り返りながら、自身の生い立ちと家族史を描いた作品だ。日本で在日韓国人として生きることがどういうものかを、人生の各段階で共にした「食」を通じて語っている。そのため、副題は「人生の重要な瞬間に共にした舌先の記憶」となっている。

著者の家庭には韓国と日本の文化が入り混じり、「食」も生涯にわたって両国のものを行き来した。在日韓国人2世で今年87歳になった母親は、生涯にわたり韓国人であることを周囲に知られないように努めてきた。外でニンニクの臭いがしないように、ニンニクを控えめにしてサラダのように食べるキムチを特別に考案した。家族が病気になると、遠く離れた町まで牛の尾骨を買いに行き、コムタンを作って食べさせた。

在日韓国人として日本で生きるということは、望むと望まざるとにかかわらず両国の「はざま」に置かれることを意味した。日常的に食べる料理でさえ、大小の葛藤につながることがあった。著者が6歳の頃の出来事だ。父親が突然キムチを箸で指しながら、「子どもにキムチを食べさせろ!」と母親に命じた。母親はキムチを味噌汁で洗い、辛さを和らげてからご飯の上にのせた。著者は恐る恐る洗ったキムチを白いご飯とともに口へ運んだ。隣にいた姉はキムチを食べた途端に吐き出してしまった。父親は母親に向かって「お前が子どもを韓国人としてちゃんと育てなかったせいだ!」と怒鳴り、食卓をひっくり返した。このように、本書には、日本で暮らしながらも、韓国の食文化を頑なに守ろうとした親の姿と、それによる葛藤が生々しく描かれている。

常に揺れ動き、確固たる帰属意識を持たずに生きてきた著者は、数多くの試行錯誤を経てキムチを自分なりにアレンジして楽しむようになり、厳格な父親と犠牲的な母親を許せる大人へと成長した。そして、「何が自分を規定しようとも、私はただ人間としての私であり、両方の文化を楽しむ存在だ」という認識へと至った。

著者は最近、日本で最も売れている漬物がキムチであるという事実に時代の変化を感じている。90歳を迎えようとしている著者の母親は、今は韓流の影響でキムチをはじめとする韓国料理がどこでも売られているので、「安心してニンニクをたっぷり入れたキムチを食べることができ、簡単に牛の尾骨を買えるようになった」と喜んでいるという。今日、自分が食べるものの意味を改めて考えさせられる。著者は2012年、小説『金江のおばさん』で日本の「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞している。


キム・ソミン記者 somin@donga.com