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私が天使を生んだ

Posted April. 15, 2023 08:38,   

Updated April. 15, 2023 08:38

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人の命には軽重がない。「私のもの」を主張できない子供だからといって、彼の命を軽く見ることはできないし、長生きした老人だからといって彼の死を当然と見ることはできない。当然のことは、生命が生まれる自然さ、人生の荒らしをすべて経た後に土に戻る道理だけだ。

確かにすべての命は同じように貴重なのに、特に赤ちゃんや幼い子供の死を考えると、さらに悔しさが増す。その弱さを守ってあげられなかったことが申し訳なく、成長できなかったことが残念でならない。大切な存在としての赤ちゃんが登場する詩を読むと、その気持ちが増す。

ある母親が赤ちゃんを産んだ。ところがこの詩には、赤ちゃんとか、子供という単語は一度も登場しない。その代わり、「天使」という言葉だけが出てくる。赤ちゃんが泣くのも、ただお腹が空いたり抱きしめてほしいという理由だけで泣く。欲張らず、人のせいにすることもできない。幸せの条件もとても単純だ。そのため、母親は赤ちゃんを天使と呼ぶ。この言葉に異議を唱える者はいない。きれいな天使がこの地に来たという事実に、ただ感謝するだけだ。

ある母親の天使が世に来て、あまりにも早く去った。多くの人は4月が美しいと言うが、天使がいなくても美しいだろうか。天使を守ってあげられなかった世界が、美しくてもいいだろうか。