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父親のパラシュート

Posted January. 04, 2023 08:45,   

Updated January. 04, 2023 08:45

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歳月が流れ、歳を取って分かることがある。詩人であり反戦運動家のウィリアム・スタフォードの「いつでも(Any Time)」はそのようなテーマを扱った詩だ。

両親は子どもたちを連れてアイダホ州サンバレーのソウトゥースに旅行に行く。彼らの目の前に美しい自然の景観が広がる。その景色を見ていると胸に迫るものがある。子どもたちは景色より白髪が生え始めた母親と父親が手を握る姿がもっと興味深いようだ。「スージーのお母さんは白髪がないわ」。その言葉にロマンチックな雰囲気が壊れる。子どもたちは父親の手を握っていた母親に言った言葉を後日、歳を取って思い出し、申し訳ないと思うかもしれない。彼らも時が来れば母親のように白髪が生え始めるだろう。まだ分からないだけだ。

子どもたちは今度は父親に言う。「お父さんの最高の秘密を一つ聞かせて」。こんな答えが返ってきた。「私は壊れたものでパラシュートを作った。私の傷は私の盾だ」。パラシュートは空から落ちる速度を遅らせ、安全に着地するための装置だ。だが、壊れたものでどうやってパラシュートを作るのか。他の多くの人と同様に子どもたちの父親も生きてきて多くの傷を負った。しかし、そのために壊れることはなかった。むしろ彼を揺るがす傷によってもっと強くなり、意味のある人生を送ることができた。「壊れたものでパラシュートを作った」という言葉は、そういう意味だ。気分次第でいつでもどこでも降りることができるパラシュートになる傷の逆説。父親の手をしっかりと握った母親に友達の母親は白髪がひとつもないと言う幼い子どもたちが、そのたとえ話を理解することは難しいだろう。しかし、彼らも世の中を生き、いつかその言葉の意味に気づくかもしれない。このように振り返ってこそ胸に迫るものがある。パラシュートのたとえ話のように。そして母親の白髪のように。

意味づけはいつも後になされる。意味の遅れと言えようか。