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アンネ・フランクの最後の「親友」が天国に

アンネ・フランクの最後の「親友」が天国に

Posted October. 31, 2022 08:51,   

Updated October. 31, 2022 08:51

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第2次世界大戦当時、ドイツのナチスから逃れ、隠れ家で書かれた『アンネの日記』の主人公アンネ・フランクの親友のハンナ・ホースラルさんが死去した。93歳だった。

オランダ・アムステルダムの「アンネ・フランク財団」は28日(現地時間)、声明を通じて、「アンネの日記に親しい友人の一人として登場するハンナさん(「ハンネリ」とも呼ばれる)死去の知らせを聞き、悲しい」と明らかにした。ホースラルさんの死去の日時と死因は公表されていない。

ドイツのベルリンで生まれたホースラルさんは、1933年にナチスが政権を握ると、家族と共にオランダのアムステルダムに移住し、アンネの隣に暮らした。ホースラルさんはアンネより一歳年上だった。2人は幼稚園と学校を共に通い、互いの家を頻繁に行き来した。ホースラルさんは生前、「私の母はアンネのことを説明する時、『神はすべてを知っているが、アンネは神よりもよく知っている』と話したりした」と振り返った。

ホースラルさんは、アンネが13歳の誕生日に両親から日記帳をプレゼントされたのを見た。まさにこの日記帳に「アンネの日記」が書かれた。アンネは42年6月14日の日記に、「ハンネリとサンネとは、前からのわたしの一番の親友でした。わたしたちがいつも連れだっているのを見て、みんなはよく、『ほら、アンネ、ハンネリ、サンネ、三人組のお通りだ』なんて言ったものです」と書いた。

ドイツが40年に中立国だったオランダに侵攻し、42年にアンネの家族がホロコーストを逃れて屋根裏部屋に隠れ、2人は別れた。2人が再び出会ったのは45年2月、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所だった。アンネは44年、密告されて逮捕され、ここに来てハンナと遭遇した。2人は別の区域に収監され、時々フェンス越しで安否を尋ね合った。この収容所で姉を失ったアンネは、涙を流して「私には誰もいない」と悲しんだと、ホースラルさんは生前に振り返った。

アンネは同年3月、発疹チフスにかかって命を失った。それから1ヵ月後、連合軍がベルゲン・ベルゼン強制収容所を解放し、ホースラルさんは1947年にイスラエルに行き、看護師になった。ホースラルさんは、「私は生き残ったが、アンネは生き残ることができなかった」とし、アンネの最後の日記以降、何が起きたのか皆が知らなければならないという義務感で生涯ナチスの蛮行を伝えてきたと、アンネ・フランク財団は伝えた。

2人の話しは、97年に米作家アリソン・レスリー・ゴールドが小説で書いた。同小説は昨年「私の親友、アンネ・フランク」というタイトルで映画化された。


趙은아 achim@donga.com