
川辺の村で一夜泊まることになった詩人の船に盗賊が押し入った。詩人であることを確認した盗賊の頭の反応は驚くべきだった。「太学博士を務めた李渉が確かなら、私はその詩名をよく知っている。財物の代わりに詩一首で十分だ」と言ったのだ。この驚くべき要求に詩人が即興的に応じたのが、まさにこの詩だ。盗賊ですら自分のことが分かるのだから、強いて名前を隠して隠遁生活する必要はないようにみえる。まして今の世の中の半分が盗賊とグルなのだから、独りで超然とした人生を模索しても、何の意味があるのかという慨嘆でもある。
容赦なく財物を略奪する目の前の盗賊に対して非難することもないが、それでも詩人の対応は優雅だ。盗賊ではなく「緑林豪客」という称号で礼遇した。場合によって、この言葉は盗賊の他に義賊にも使ったのだから。そのうえ「世の中の半分があなたたちと同じだ」とし、それとなく盗賊の群れが横行する世相との連帯感を指摘する。人生の行跡も知られず、残した作品も約10首にすぎない詩人の名声を盗賊の頭が知っていたということは疑わしいが、詩を称賛した彼らが、詩人に酒と肉まで振舞ったという記録が残っている。
盗賊と詩、この不釣り合いな不調和が見せる諧謔(かいぎゃく)味に加え、詩は淡々とした表情の中、風刺というさらなる味を隠している。風刺の刃が狙っているのは、「詩を味わう盗賊」ではなく、清廉なふりをするが「盗賊と違わない世の半分」であることは明らかだ。